【SS】PRISM
兄さん、兄さん、と激しく揺さぶられて目が覚めた。
薄らと目を開けば、とっくにパジャマからいつものパーカーに着替えた十四松が枕元に座って俺を覗き込んでいる。寝ぼけ眼に突然飛び込んできた兄弟の顔に、眠気は一瞬で消え去った。流石に、目の前に人の顔しかないという状態はいかに大切な兄弟の顔でも驚く。
「どうした十四松、ロードワークか」
「違うよ! 僕、これから宇宙いってくんの」
宇宙。寝ぼけているせいで聞き間違えたのだろうか、覗き込んでいる十四松の額を軽く突いて除けさせ、上体を起こす。左右に寝ている一松とトド松はまだ夢の中だ。起こさないようにそっと布団を抜け出して、十四松の隣に座る。
「宇宙って、宇宙のことでいいのか?」
「そうだよ、宇宙はひとつしかないじゃん!」
十四松は俺の目をじっと見ながら、昔会った宇宙人が星を侵略されて困ってるから助けてくれって交信をしてきて、バット一本持ってきてくれれば大丈夫だっ て言うからこれから家を出るところで、誰にも言わないで出て行ったらきっと心配するからとりあえず兄さん起こそうと思って、と一気に捲くし立てた。
途中でハレー彗星とか、四銀とか、知っているような知らないような言葉が並んだけれど、寝起きの頭では上手く意味が噛み砕けない。それより重要なのは、これから十四松が家を出るということだった。
「俺は一緒に行けないのか?」
十四松は目を丸くして、長い袖を口元に当てた。喉からでかかった言葉に蓋をするような感じだ。こういうときは大抵、俺は一緒に行くことが出来ない。困らせているだろうと思っても聞かずにいられないのは毎回のことだ。
「呼ばれたのは僕だけだから、兄さんは留守番でお願いします!」
「わかったぜ」
しょうがない、俺は宇宙に行けないし、宇宙人と交信することもできない。
「十四松、太陽が眩しいだろ? 俺のサングラス持っていくか?」
外は徐々に明るくなりつつある。これから宇宙に行くんなら、あの日はきっと目に沁みることだろう。十四松の返事を聞く前に立ち上がって、押し入れの中にあるサングラスを取り出した。表面に小さな傷はあるが、つけていないよりずっとましなはずだ。
「お借りしやす」
サングラスを差し出せば、十四松は恭しく両手でそれを受け取った。正座してるのも相まって、なんだか妙に真面目に見える。手の平のそれを早速つけてぱっと笑う兄弟は無邪気だ。
「気をつけてなブラザー、帰りを待ってるぜ」
サングラスのテンプルが十四松の髪を巻き込んで跳ねている。耳元を撫でてそれを直してやって、ぱちりとウィンクを送った。十四松はパチパチと瞬きをしてから、同じくウィンクを返そうとして両目を瞑ってしまっている。
「夕飯までには帰るから!」
じゃあいってきます、と叫んで十四松は窓を開け放つ。気をつけてな、ともう一度言った。その場に十四松は居なかったが、きっと聞こえていたと思う。
「十四松は?」
台所からチョロ松が顔をのぞかせる。夕飯の準備は当番制で、曜日ごとに誰が担当するかが一応決まっている。律儀に守っている松の方が少ないのだが、チョ ロ松は律儀に守る方の松だった。片手にしゃもじ、片手に茶碗。白米を盛る途中であるのは明らかで、ちゃぶ台を囲んだ兄弟たちと顔を見合わせる。
「宇宙に行くって朝出て行ったきりだな、夕飯には戻るって言われたんだが」
「宇宙? ヤバいとこの名前じゃないよね、お兄ちゃん知らないけど」
口々に知らないとか、またどっかで死んでるんじゃないとか言うのを聞きながら、十四松の定位置を見る。宇宙から戻るのにどれくらい時間がかかるのだろう、やっぱり俺も一緒に連れて行ってもらえばよかったのかもしれない。
「まあいいや、帰ってきてからで」
チョロ松は茶碗を棚に仕舞い、盛った茶碗から順に兄弟に手渡していく。リレーみたいなものだ。俺ちょっと大目がいいとか、夜は少なめにしたいとかいうや り取りの隙間に、何か、音が聞こえる。ぱらぱらと屋根に跳ね返るような音だ。一松も外の音が気にかかったのか、茶碗を俺に差し出してからふと窓の方へ視線 を投げた。
「雨か?」
「降水率ゼロのはずだよ」
茶碗をちゃぶ台の上に置き、勢いをつけて立ち上がる。一松の友達はほとんどが外住まいだ。雨風が酷い日は、うちで夜を越していくときもある。もし雨なら迎えに行くつもりだろう。俺も十四松のためにやわらかなバスタオルと暖かい風呂を用意しておくべきかもしれない。
がらり、窓を開け放つも外には水滴一滴落ちた気配はない。この間も、ぱらぱらと屋根を叩く小さな音がしている。
「クソ松、上」
「見てくる」
夕飯食べてから、と悠長なことを言っている場合ではないことはわかる。腹の虫をもう少し我慢と宥めてやりながら、居間を出て階段を上がった。
二階に近付くにつれ、ぱらぱらと降る音が大きくなっているように感じた。雨粒ではないことは明らかで、小石や砂利が跳ね上がって何かにぶつかっているような、そういう音だ。砂でも撒かれてるんじゃなかろうか。
物干し台へ出るべく窓を開け、一歩踏み出す。途端、足の裏に砂利が突き刺さって激痛が走った。パチンコ玉とか、小さくて堅いものを踏むと何だってこんなに痛いのだろう。悲鳴を堪えたら変にこもったうめき声が漏れた。
素足で物干し台に出たがらないチョロ松の使うサンダルを借り、これで安心して出られるようになった。サンダルを履く間も、屋根から物干し台に小さな石が転がり落ちてくる。どうやら石が降っているらしい、原因はわからないが。
空を見上げる。月の姿は見えず厚い雲が広がっているのだが、まるで穴を開けたみたいにうちの上だけ雲がない。石はどうやら、その穴のような部分から降っているようだった。
「十四松?」
口に出して、今朝宇宙に行くと言った弟の名前呼んでみる。
あの空の穴、そこから帰ってくるのだろう。十四松が宇宙から返ってくるための穴なのだ、そうに違いない。真っ直ぐに下りてくればうちがある。俺は穴を見上げて、もう一度名前を呼んでみた。
「十四松!」
瞬間、ちかりと光る点を見つける。星よりずっと明るく、飛行機よりずっと早いそれは俺が瞬きをする間にどんどん大きくなる。落ちてきていると気付いて、屋根の上に上るために手すりに足をかけた。受け止めてやらなきゃならない、と思ったから。
「ブラザー、お迎えに準備がいるって教えておいてくれよ」
ぐんぐん近付くそれを見ながら目を細める。流れ星だ。星が燃えているからこんなに明るいのだろうか。両手を空に向かって広げてみる。この両手の中に、光はすっぽりと包み込める、けれど。
――どかっ、がしゃん、ぼすん。
三度瞬きをして、その間に光る点、もしくは流れ星はあっさりと屋根の上に落ちた。ぶわと風が広がり、衝撃で飛ばされないよう反射的に頭を抱えて屋根の上に伏せた。火の粉が飛び散って、ぱちんと腕にぶつかる。
暴れんな、と下から怒鳴る声はおそ松だ。俺じゃない、と叫ぶより先に確かめないといけないことが俺にはある。煙が上るのを見ながら、そろそろと顔を上げた。
「……ジュウシマ~ツ?」
呼んでみる。近寄ってみる。真っ黒い、大きな、人の大きさくらいの石が屋根にめり込んでいる。
石はぴくりとも動かない。近寄ると僅かに熱気がある。成層圏を抜けるときに燃えるのは何だったか、昔ロケットの解説をするテレビで聞いたことがあったけど、思い出せない。
「ブラザーだろう、おい、なあ……」
声音が揺れているのが自分でもわかる。せめて石に触れられることはできないかと手を伸ばしたところで、石の表面に亀裂が入った。隙間からは細く煙が上がる。
「十四松」
石の塊がぼろりと剥がれて十四松の顔が見えたのと、十四松が石を弾き飛ばそうとうんと立ち上がったのはほとんど同時だった。弾けとんだ石の塊が頬を掠めて飛んでいった。
「カラ松兄さん!」
一糸まとわぬ姿の十四松が、両手を伸ばして俺に飛び込んでくる。飛び込んでくる衝撃を受け止めて、背中に腕を回した。今度はしっかり受け止められたと、ほっと息を吐く。
「兄さん兄さん兄さん、宇宙、宇宙ねえ! 凄かったよ!」
そうか、凄かったんだな。十四松、と呼んでやりたいのにあまりに強く抱きしめられていて声が出ない。口から出るのは、蛙がつぶれたみたいなうめき声だけだ。あまりの苦しさに耐えかねて背中を叩く。それでようやく気付いたようで、熱い抱擁から開放された。
「ごめんね!」
「いや、いいんだ、……おかえり十四松」
「ただいまーー!!」