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【WEB再録】すばらしいかな人生よ!(16/01 発行)

週末だけ、一人暮らしのカラ松の家に泊まりにいく一松の話。どっちもお戯れテンション。そこそこ両思いで悩みのない二人。 

※社会人になり自立したカラ松がいます
※もうできてます
※R-18は薄いです

 

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 古臭い灰色のビルとその隣のマンションを壊せば、カラ松の住むのアパートが見えると念じ続けておよそ半年。ついにビルの解体作業がついに始まった。

 元々、取り壊される予定のビルだった。耐震構造が古いとか、消火器ないとかで立ち入れなくなったらしい。買い手がつくまでしばらくかかって、やっとの取り壊し。

 地下から出た電車は緩やかな坂に差し掛かり、ゆるゆるとスピードが落ちる。解体現場がゆっくりと通り過ぎていく。目を細めて見ても、やはり隣のマンションが邪魔であいつのいるアパートは見えない。

 さすがにマンションが取り壊しになることはないから、電車の中から在宅を確かめようなんてのは元々できないことなのかもしれない。

 それに、薄暗くなりつつある街の中からあいつの部屋の明かりがわかったら、まるで映画やドラマみたいで話がうまく出来すぎている。やっぱり駄目くらいがちょうどいい、何しろ僕はクズなので。

 ロマンを諦めて、ポケットに突っ込んだ携帯を取り出す。画面には、もう駅に着いているからというカラ松からのメッセージが表示されている。

 これで確認できてしまうのは便利なのだが、便利すぎるのは時々悪いなとそのままポケットに戻した。

 暖房が効きすぎている電車内はコートを着たままだと少し暑いくらいで、僅かに窓が開いている。暖房の風と、窓から入ってくる冷たい風を頬に感じながら外を眺める。

 夕暮れ時である。橙というより、黄色に近い夕暮れの色で染まっている。電車内も買い物から帰ってきたらしい人々に、遊びつかれた子供たちの寝入った姿が目立つ。家に帰る人々の姿だ。

 それに混じって、僕はカラ松の家に向かっている。足元には母さんから託された荷物が鎮座していて、これをあいつに届けるのが今回の用件だ。

 坂を登りきってしばらく、緩やかにブレーキ。電車はホームに滑り込んでいく。眠っていた子供たちを起こす人を横目に、足元においていた紙袋を二つ両手に下げて降りた。

 今日の荷物はずいぶん重い。母さん、気合入れてずいぶん作ったんだなと指先に食い込む紐で愛情を感じる。一人暮らしをはじめて一年経ったとはいえ、元々生活力がなかったから心配なのは変わらないんだろう。

 降車した人たちに混ざって階段を下り、改札の向こうに薄っぺらなジャケットをきたカラ松が立っているのが見えて少し俯いた。

 先に見つけるのはちょっと癪だ。探している振りをしてきょろきょろと視線をさまよわせる。

 そこまで広い駅ではない。人混みの中にいる僕をあいつが見つけるのもすぐのことで、改札の向こうから名前を呼ばれて、やっと視線を合わせた。

 見つけてもらうのは好きだ。こいつが探しているのは僕だけなんだというのは気分がいい。やっと気付いたという体のままで早足に改札を抜ける。

「重かっただろう、ありがとな」

 カラ松がすぐに寄ってきて、持っていた紙袋を引き取るべく両手を差し出す。そのうちの片方を叩き落として、荷物のうち片方だけを預けた。こういう小さな労働は半分この負担にするのがいい。

「あんたの好物ばっかだもん、重いよ」

 紙袋を開いて中身を見せる。一番上のタッパーに入っていたから揚げをみるや、ぱっと表情が明るくなるところがらしいと言えばらしい。母さんが喜びそうな顔だ、家に帰ったら絶対に話そうと決める。

「いこ」

 もうすぐ消えてしまう古臭いビルと、見上げるとさらにでかくみえるマンションの方へ向かって数分歩いたらカラ松の住むアパートがある。

 先に歩き出すのは、何故かいつも僕と決まっている。カラ松の革靴がコツコツ音を立てて着いてくるのを聞きながら駅を出て、二人で並んで歩きはじめた。

 駅前の栄えた方面に背を向け、やたらでかい木がばかすか植えてある公園の落ち葉を踏んで通り抜けていく。ショートカットだ。夕暮れはすでに薄闇になり、公園には人影がない。

 かさかさ鳴る落ち葉を踏む感触に視線を落とすと、真っ赤なカラ松の手が見えた。

「手」

 あ、とか、え、とか呻くのを無視して、あいつの左手をとる。

「なんで寒いってわかってるのに手袋もしないの」

 薄っぺらなジャケット一枚、その下も適当なシャツを着ているであろうカラ松の手はわかりやすいくらい真っ赤で震えてすらいる。お洒落は我慢とはいうけれど限度がある。

「うっかり忘れて……」

「風邪ひいたら大変なのはあんたなんだからさ」

 握った冷たい手に反して、さっきまで暖房のきいていた電車に乗っていた僕の手はかっかと熱いくらいだ。足して割ったらちょうどいい温度になる。

「しっかりしなよね」

 振り払われないのをいいことに、そのまま二人で黙って手をつなぎながら歩いた。じわじわと体温が移っていって、震えがぴたりと止まった。

 公園を抜けると車通りの絶えない大通りにぶつかる。歩行者用の信号を押す頃には指先まで十分体温が戻ったから、その手を開放してやった。

「ありがとな」

「はいはい」

 信号が青に変わる。まだらに消えかけた横断歩道の白だけを選んで歩き、いつ開いているかもわからない歯医者の角を曲がってずっと真っすぐ。まだ、もう少し歩く。

 ここらは古い住宅地で、たまに猫を見かけるのがいいところだ。懐っこい三毛がいたはずで、猫のいそうな物陰をちらちらと見ながら歩く。

「ミケはもういないぞ」

 路地を気にする僕に、カラ松が白い息を吐きながら囁く。一瞬で血の気が引いた。野良猫でならよくある話ではあるが、それを受け止める準備はなかった。

「あ、一松、悪い知らせじゃないんだ」

「は

「心優しいレディがうちに住んでもらうんだって」

 理解してほっと息を吐く。野良から家猫になったということか、悲しい早とちりするところだった。

 愛想の良かったあの三毛にもう会えないのは残念だが、野良で明日も知れない生活を送るよりずっと安全で暖かな生活だろう。

「ちょっと寂しいがな」

 そう言いつつも僕と同じようにほっとした顔をしていたから、考えていることはきっと同じだ。

 三毛のいた路地を横目に、さらに真っすぐ。この先郵便局とある看板が敷地内に立っているのがカラ松の住むアパートだ。

 築二十六年、年季の入ったアパートなのだが内装を変えたり壁を塗り替えたりとマメな大家が管理しているらしく見た目にそこまで古さは感じない。

 シャッターの降りる窓と、ドアにダミーの鍵穴を施した防犯対策ばっちりの一人暮らしには過ぎた部屋はあいつの勤める会社の独身寮で、知っている限り隣の部屋はずっと空室だ。会社で借り上げている独身寮なんて、あまり人が入らないものらしい。

「暖房入れてあるから暖かいぞ」

「マジかぁ、ありがてえ」

  鍵が開くまで一旦荷物を預かる。ドアの上と下についている鍵穴はダミーだ。実際は中央一本、ディンプルキー。鍵の開く、かしゃんと小さな音を聞いてからノブが回る。

 ドアが開いた瞬間、暖かい空気が顔に触れる。さすがに外は寒く、二人でぎゅうぎゅうになりながら玄関に飛び込んですぐにドアを閉めた。

「ただいまー」

 誰がいるわけでもないのに、そう言って中に入って行くカラ松の後に続く。靴を脱ぐ間に荷物をパス。妙にご機嫌な顔で迎えられて、思わず口元が引きつった。

「おかえり一松

「……俺の家ここじゃねーよ、おかえりカラ松」

 いいじゃないかと文句を言っている家主を尻目に、ずかずかと部屋に上がり込む。

「あとはいいぞ、俺は小分けとかするから」

 母さんからの救援物資は大体が多すぎだ。

 男六人を育てた母さんは何でも多めにつくる傾向があるから、冷凍とか冷蔵とか救援物資の仕分けをする必要がある。

 ワンルームの台所というのはすごく狭い。一口のコンロと、まな板を置けばいっぱいになる流し台でカラ松がせっせと仕分けをしている間、僕は一人用こたつに潜って寛ぐのがお決まりになっていた。

「いいクッション買ったんだ」

 こたつに添えるようにクッションが鎮座している。ずいぶん大きい。

 ここで革張りのソファーでなく、気持ちが良くてやわらかいものを選ぶあたり、あいつのかっこいいの芯はぶれているような気がする。元々よくわからない基準が更に迷走しているような。

「飛び込むと気持ちいいんだ」

「やる」

 兄の言葉に甘えてそれに飛び込んだ。

 ふっかりと体を包む球体。ずぶずぶと体が沈む感覚は中々衝撃だが、すっぽり埋まってしまうと自分のためだけにあつらえたようにフィットして案外居心地がいい。

「ニーサン、ええ買い物しましたなあ」

「ふ、いい目を持っている俺……」

 コートを着たまま飛び込んだから背中がごわごわしている。脱いでから飛び込むべきだった。座り直しながら脱いで、適当にカラ松のベッドの上に放り投げた。

 そのままこたつに足を突っ込んでしまえば、もう何も言うことはない。完璧だ。すばらしい。こたつから出さない布陣なのだ、これは。罠か。俺がかかるぞ。

「いいだろ、な

 どうだすごいだろうと言わんばかりのカラ松が脱力した僕を見て親指を立てている。同じようにサムズアップで応え、自重で体が沈んでいく感覚にうんと伸びをした。

 このまま眠ったら絶対気持ちいい。

 人の家に来て即寝るというのもどうなのか、けれど瞼がとろとろと落ちてくる。足元はあったかいわ、人をだめにするクッションは気持ちいいわ、両手に重たい紙袋を提げて少し疲れた体はわかりやすく休息を求めているのだから仕方ない。

 僕からの返事がなくなったことに気付いて、カラ松は何も言わない。狭い台所で仕分けをしているあいつの鼻歌を聞きながら、眠気と戦う時間は心地よくて、自分のことながら変わったものだと思う。僕はいつからそうなったのか思い出そうと記憶をさかのぼりはじめる。そのうちに絶対眠ってしまうことは、織り込み済みだ。

 

 カラ松が家を出た日は、雨がうっとおしく降り続いて、色づいた葉を落とすような湿っぽい日だった。足元に泥が跳ねるほどだというのに、本人は何でもないことのようにからりと笑って出て行ったのを覚えている。

 最後まで家から離れないと豪語していたカラ松は、逆にいえば家のことに責任を持たなくてもいいのだと気が付いてしまった。自由ってこういうことなんだなと満足げに言っていたからそういうのがかっこいいと思う周期だったんじゃないかと今になって思う。僕はそれに自己責任ってことだぞとちゃちゃといれた覚えがある。

 自由なんだと気付いたカラ松は仕事を決め、独身寮があるからと二十数年暮らした家をあっさり出ていった。気付きから出発までの期間はおよそ二週間。その間にどんな話をしたかは覚えていない。

「いってくるぜ」

 そういった顔も見ていない。出て行く背中を見送っただけだ。他の兄弟も同じ。何も今生の別れじゃないのだから、いつでも帰っておいでなんて言っていた母さんはいつまでも手を振って見送っていた。

 さて、僕ら兄弟は一人が欠けて何が変わったかと言うと、特に何も変わらなかった。今まで慣れのままやっていたことが噛み合わないのがたまにがあったくらいで、逆に驚いたほどだ。

 例えば茶碗に六つご飯を盛ってからひとつ多いと気付くとか、銭湯の回数券が妙に余っているとか、そういう小さなことはあった。これらは五人で生活するうちに修正されて、今ではしっかり調整されている。

 ひとつだけ修正されなかったものがある。布団の並び順だ。布団に枕を並べるときだけ、いつもどおり枕が六つ並ぶ。カラ松のいたところには、湯たんぽがてんと置いてある。十四松が置き始めて、トド松がそれを抱えるようにして寝るようになった。

 湯たんぽが僕とトド松の間で取り合いになり、仕方なく二つを並べて置くようになった冬。年末くらい泊まりで帰ってくるだろうと思っていたカラ松は帰ってこなかった。顔を見せにはくるらしいが、年末年始一人で過ごすのを一回やってみたかったらしい。連絡を入れたおそ松兄さんのふくれっつらはなかなか見物だった。

 迎えた元旦の朝。松野家の元旦は、トド松の年賀状仕分けから始まる。何しろうちに届く年賀状のほとんどは両親と末弟のものだから、兄弟の誰も手をつけないのだ。例年零枚の僕からしたら、全く関係なさすぎて忘れているくらいだ。

 居間のこたつに足を突っ込みながら、今年もやってるなあくらいで眺めていた年賀状の束から、一枚が僕に差し出された。

「一松兄さん宛てだよ」

「ダイレクトメールでしょ 捨てて」

「違うよ カラ松兄さんから

 驚いている僕に、トド松はみんなにも届いてるからと容赦なくそのはがきを押し付ける。

 手書きの宛名、見覚えのある文字。年末年始一人で過ごしたいといったのは、これを送ったからか。わざわざ両親と兄弟それぞれに年賀状を送ったなんて面白そうなこと、黙っていられそうにないからか。

 半ばあきれながらひっくり返す。干支のきぐるみをかぶった猫が笑っている、かわいい絵柄のそれだ。ぱっちりとした目の猫に、わざわざサングラスが追加されている。自己主張が激しすぎる、と若干イラついた。

 あけましておめでとう。今年もよろしく。うちの近所になつっこいカラ松ガールがいる。小さいミケ。そのうち見に来ないか

 見に来ないか、の部分は文字が詰まって小さな字になっていた。仕事は順調とか、他に書くことがあるんじゃないだろうか。ミケ、とあるからおそらく猫のことだろう。確かに三毛猫はほとんどがメスだからガールで間違いないと思うけど、カラ松ガールに猫をカウントするのはどうかと思う。

 どうせ同じようなことが他の兄弟の年賀状にも書いてあるだろう。笑う猫を見ながらそれを伏せると、それぞれの兄弟が同じようにカラ松から届いた年賀状をじっと見て目配せをした。

「一松、お前にも届いてるな

「うん」

 おそ松兄さんの目が好奇心でギラギラしている。大方何が書いてあるの見せて見せて教えて、と言うところだ。こうなると見せるまでしつこいし、しがみついて年賀状を奪われるより前に、自らこたつの上にそれを置く。

「一松兄さんのだけ猫ちゃんだ」

 覗きこんだ十四松が絵柄を指してけらけらと笑う。全員同じじゃないのかよ。言われて気がつく。五枚並んだ絵柄は三種類、僕のだけ全く違う猫の絵柄だ。

「絵柄よりくじの番号控えておいてよ」

 チョロ松兄さんは内容にそこまで興味がないらしい。はがきについたくじでいいものが当たればそれに越したことはないくらいか。いや、僕だって例年はそんなテンションなのだけど。

 面白いことはオープンに。それが暗黙のルールになっている松野家であるから、実家を出たカラ松から兄弟宛てに届いた年賀状のプライバシーなんてないに等しい。

 文字をじっと追う。長男から末弟まで、五枚。見に来ないか、なんて書いてあったのは俺のだけだった。

 午後から顔を出したカラ松は、案の定年賀状をネタに散々弄られていた。久しぶりに会う兄弟に構われて楽しげで、なんとなくミケのことは聞きそびれてしまった。

 その日は久しぶりに六人で寝た。湯たんぽと間違えてカラ松の腹をまさぐってしまって、白けた視線を浴びたのは失敗だったと今でも思う。

 起きる頃にはすでにカラ松は帰ったあとで、結局まともに話はしなかった。

 別に急ぐことでもないしいいかと忘れ、そこから一週間。昨晩残った七草粥を遅めの朝食代わりにしていたら、母さんに捕まった。

 曰く、お正月に残った食材で保存食を作ったから、カラ松のところにもっていって、とのことである。

 どうも平日は仕事が忙しく宅配が受け取れない状態らしい。ならば確実に在宅している休みの日に人の手で渡ったほうがいい。理屈はわかる。

 他のニートたちは見当たらないし、といわれどうやら生贄にされたらしいことを知る。こういうときに限って団結力というか、妙に察しがいいのが松野家の六つ子だ。

 連絡を取る。メールより電話のほうが手っ取り早くていい。昼にほど近い時間だし、起きているだろうと見越して電話をする。

 ワンコール、ツーコール。出ない。スリー。ぷつり。通話開始の画面に、寝ぼけ声のもしもしという声。

「一松ですけど」

 電話の向こうで、ごとりと何かが落ちる音がした。

「おい、クソ松、おきろ」

「おきてる」

「母さんから頼まれて、お前んちに飯もっていくから」

「うん」

「最寄りの駅どこ」

「うん……」

 うん、じゃねえよ。電話口で寝ぼけた兄弟を覚醒させるのは難儀した。寝ぼけ声のカラ松から何とか駅を聞き出して向かったのは昼過ぎだ。

 家からは一時間半程かかる。荷物を抱えての不慣れな乗り換えを繰り返しながら、年賀状にあった三毛を思い出していた。正月にすっかり聞き損ねた三毛の話は、ついでに聞こうと決めて、知らない街並みを眺める。

 駅についた頃には夕方に差し掛かりつつあった。日が沈むと途端に空気が冷え、ぶるりと体が震える。

 両手に下げた荷物は中々の重さで、見慣れない駅の風景にきょろきょろと視線をさまよわせれば、耳慣れた声が俺の名前を呼んだ。

「お遣いご苦労さん、茶でも飲んで帰るか

「いいよ、別に……」

 この荷物を託して帰れば終わりなのだが、それでは三毛のことは聞けない。荷物のうち片方を差し出してやれば、カラ松は小首を傾げた。

「あんたの家、どっちなの

 片方を持って適当に一歩を踏み出すと慌ててカラ松も荷物を持ち上げて後を追ってくる。駅の栄えた方とは反対方面を指しているから、踏み出したのとは逆方向だ。

「こっちだ」

 大きい公園の中を横切っていく。その間、ぽつぽつと言葉を交わした。何を喋っても空回っていたあのカラ松と会話が出来ることに、僕は少なからず驚いていた。他の兄弟がいないからなのか、それとも働き始めたカラ松の言葉から横文字の割合が減ったせいなのか。

 大通りの信号を渡り、古い路地が現れる。路地を境に開発された場所と古い街並みが混じっていて、何を気にすることもなく前を歩くカラ松は知らない街に住んでいるのだと気がついた。

 路地の曲がり角、小柄の猫がちょんと座っているのが見えて足が止まる。

「ミケ」

 カラ松が呼ぶと、猫は甘ったれた声で鳴いた。

「紹介してよ」

「俺のスウィートハニー、ミケちゃんだ」

 うっとおしい言い回しは無視して、カラ松の横に荷物を一旦置いて、しゃがみこむ。見に来ないかと書いてあった三毛柄の猫。冬毛で膨れてまるまるとしている。

 ついと指先を差し出せば、三毛は待ってましたとばかりに擦り寄り、鼻先でふんふんと匂いをかいでから撫でて撫でてと頭をぶつけてきた。三毛柄の猫は甘ったれが多い。よっぽど人好きらしい、小さな頭を撫で、喉をくすぐってやるとごろごろとご機嫌に鳴いてくれた。

「うちのアパートで寝てる」

「飯やってるでしょ、毛艶がいい」

「たまにな」

 通勤で通るたびについてきて随分鳴くから、放っておく自分が悪人のようでいられなかったと言う口ぶりは変わっていない。かわいそうだから、の前に見栄が少し入るのがうちの二番目だ。

 ミケは僕とカラ松のあいだをいったりきたり、愛想を売るのに忙しい。猫を挟んで、ぽつぽつと他愛ない会話をした。仕事はどうかとか、兄弟は元気にしているかとか、その程度だけれど。一緒に住んでいたころは、向かい合って話すなんて苛立ってとても出来なかったことを考えれば十分意外だ。今はそう苦じゃない。

 頭を撫でてるカラ松の手がミケから離れた一瞬、まだ離れないでとばかりにミケがカラ松の手をがっしと捕まえた。爪を立てられたカラ松が小さく痛いと言ってもミケはやめない。むしろ満足げに笑っているように見える。ふっと笑えば、つられてカラ松も笑った。

「こういう風に喋るって、あんまりなかったな」

「そうかもね」

「ブラザーは天邪鬼だから……」

「どの口が言ってんだ あ~

 そういうのがうっとおしいから手が出るんだろうが。

頬をつねる。拳でいきなりいかなかっただけ自分を褒めたい。十四松とするようなじゃれあいに似ている。こういう風にも出来るんだな、なんて他人事のように思いながら、カラ松が笑っているから手を離した。

 そろそろいくかと立ち上がり、荷物を持ってカラ松の後に続く。ミケは当然のようについてきて、先を歩いたり道路に転がったりと忙しい。

「カリカリは後でな、レディ」

 それを待っているのと言うように一声高く鳴いて、郵便局の道案内が出ているアパートに入っていく。カラ松も続いて入った。このアパートか、と気付くのが一瞬遅れて違う道に行きかけて慌てて戻る。

 ミケは寝床にしているらしいダンボールにくるりと丸まっている。営業は終わり、といったところだ。

「二階の突き当たりなんだ」

 階段を登って二階へ。カラ松が鍵を開けている間、ぼんやりと周りを見る。廊下は薄暗い。隣の部屋のドアポストは、はがれかけた空室を知らせるラベルが貼ってある。あれでチラシを防いでいるらしい。

「上がっていくか

「いや、帰る」

 玄関先に上がっただけで、何となくそれ以上進む気にはならなかった。兄弟の知らない一面を見るようのは気が引けたのだ。

「次はあがるからきれいにしといて」

 次があるのかはわからない。その場を切り抜けるだけの言葉だがそれを待っていたとばかりにあいつの目が光った。いやな予感に襲われて舌を打つ。

 玄関先のフックに、青い不細工な犬のキーホルダーとつながっていた鍵が一本。それを取って、僕の手の中にぎゅうと入れる。

「ブラザー、これはスペアだ」

「何が言いたいのか簡潔に」

 いつもの調子を出しそうになったところで差し返せば、照れくさそうな笑みが帰ってくる。

「合鍵、持っててくれ」

「なんで、おれ

 さっきまでの饒舌はどこへやら、急に黙り込む。互いの出方を伺うような、緊張を伴う沈黙に少したじろぐ。

「黙ってたらわかんないんだけど…」

「……予備

「ほんとは

「……また遊びに来て欲しいなと思って」

 目をそらしながらいうところ、変わっていない。言いづらい、照れくさい本音とか、自分の持つカッコイイのイメージから離れた言動をするときわかりやすいくらい目をそらすのだ。そのうえ、相手の逃げ道を断つような言い方をするのがずるい。

 いやだね。そんなのはごめんだ。そうやって断るのは簡単だけれど、言葉を飲み込んだ。

 部屋の内側に立つカラ松の後ろ、すでにカラ松だけの生活空間となっている部屋は薄暗くて部屋は静か過ぎる。うちとはまったく正反対といってもいい。すぐにわかる、この部屋にいるのは寂しいのだというのが。

「いいよ、持って帰る……なくさないとは限らないけど」

 手のひらに乗った鍵をポケットに突っ込む。失くすとドアごと交換だからやめてくれと言うカラ松に適当に返事をしてからあいつの部屋を出た。送ろうかと聞かれはしたが、道は覚えているし小さな子供でもない。駅まで帰るくらいは一人でいい。

「じゃあな一松、ありがとう」

「ああ、うん、じゃあね」

 ぎこちなく手を振るそれに振り返すこともせず、ただぱたりとドアが閉まるのを見ていた。

 かしゃんと鍵の回る音。電気がついたのか、玄関先が明るい。あいつの部屋の音。別の生活の音。同じ家に帰ることはないのだ、と思うとこれは結構寂しい気がする。

 僕が寂しく思うことは何もないはずなのだけど、妙に寒さが沁みて、コートのジッパーをきっちり首まで上げた。それでも漏れる白い息に、舌打ちをひとつ。それで温まるわけでもないことはよくわかっている。

 

 それからも何度かあいつの家に救援物資を運ぶことがあった。

 ニートたちローテーションでいきなさいという母の言葉はどこへやら、お前ならカラ松の家わかるじゃんとすっかり担当のポジションに落ち着いている。

 物資の運搬だけならまだしも、この夏はカラ松が夏風邪でぶっ倒れたときも看病にも出かける羽目になった。そのときに初めて泊まってからは、泊りがけで行くことが増えた。

 夏風邪の後、あえなくカラ松の夏休みは潰れた。あいつの勤め先はどうやら休みに入る前というのが一番忙しいらしくしばらく会えず、元気になったし遊びにいきたいが休みがないと言うあいつの家にやっと顔を出せたのは秋の大型連休あたりになる。

 そのときに諸々、済ませた。

 諸々というのは、言葉通り諸々だ。

 年の初めから通うこと数回、実家にいた頃はうまく構うこともできなかった。なのに今では時に楽しく時に落ち着いて話をすることも出来るし、何より一緒にいたいなあとぼんやりと考える僕がいる。

 僕が楽しいものはカラ松にも知って欲しいし、カラ松の楽しいと思うことを知りたいと思う。つまらなかったことだって構わない。結局は何でもいいんだ、それがカラ松に関わることなら。

 友達もろくにいない僕からすれば、猫と遊ぶかカラ松と遊ぶか、くらいまで選択肢が狭まっている状態の時点で奇跡なのだ。

 もっと遊びたいというには子供っぽすぎて、もっと近付きたいというのは語弊がある。近付きたいっていうとなんか、肉体関係みたいだ。考えて、一瞬やぶさかではないと思った僕の頭は茹だっている。

 どう切り出せばいいかもわからなくてただ押し黙る僕を前に、カラ松は同じようにただ黙って茶をすすっていた。秋口なのに熱いお茶、おかわり二杯。

 出涸らしが白湯に変わった頃、これ以上言葉にまとめようと考えても無駄だと諦める。

 カラ松と二人で居ることに違和感もなく、どちらかといえば一緒にいたいと思う日が来るとは夢にも思わなかったが事実そうなのだからそういう他ない。頭脳だって残念ながら六分の一なのだ、僕がろくに言葉を準備できるはずがない。

 ただ兄弟の愛情に甘えきった感情なのか、それとも別のものなのか、それを表すには言葉が足りなくて、もしかしてお前もそう思ってくれているんじゃないかと期待すると背中が冷える。期待してしまっている自分が、ニートでクズで社会のゴミなのに、一丁前に人に好意を告げようというのが恐ろしくなって。

 それでも言わないといけない気がして、重い口を開く。

「あのさ」

「おう、なんだ」

 カラ松は言わなくてもたぶん、一緒に居てくれる。言葉を飲み込みかけて、けれど口に出した以上引っ込められない。僕はそういう小さなプライドと、負けず嫌いでできている。

「僕、お前と一緒にいるのが好きで、できれば色々したいと思っています」

「……色々って何だ

「そこはまだ考えてないから、先にあんたの言質を取ろうと思って……」

 色々って言っておけば、後からあれもこれも色々に織り込んでいたんだからいいだろうと押し切れる。丸め込むともいう。常套手段だ。

 素直に言ったのがよっぽどおかしかったらしい、カラ松はくっくっと喉の奥で笑いを堪えながら震えている。

「一松、お前さ……」

 都合のいいこと言うなよ、なんて言われたら心が壊れる。ぺしゃんこになる。

 俺はそう思わない、なんて言われたらもうここには来られない。合鍵はトド松に押し付けてやろう。

 俺もって言ってくれたら。

 聞きたいような聞きたくないような、ただもっと遊びたいんだって言うだけなのになんでこんなに心臓はうるさいのか。

「言質取ろうって考えるところが一松だよな」

 どれでもなくて、思わずずっこけた。カラ松がぷっと吹き出す。

「いいってこと

「もちろん、俺も一松と遊ぶのすっごく楽しいからな」

 安堵で体の力が抜ける。心臓はいまだにばくばくと鳴っていて、ため息とともにテーブルに突っ伏した拍子にマグがひっくり返った。パーカーの片袖がぐっしょり濡れる。二人で呆気にとられて、弾けたように笑い出した。緊張状態から脱力していたからか余計にどつぼで、涙が出るまでとまらなかった。

 それが何だか恋人同士の真似事になるまでそう時間はかからなくて、うっかり一線も越えてしまった。

 勢い、話の流れ、場の雰囲気、色々。そういう風になっちゃったからしょうがない、これも人生だものな。セラヴィと先に言ったのはカラ松だ。カラ松がいいと言うなら、僕は別にどうでもいい。そもそも嫌じゃなければそういう勢いにだって乗ったりしない。

 いいんだ、お互い楽しんでるから。

 

「一松、寝るならベッドにしてくれ」

 肩を軽く叩かれてはっと目を覚ます。どうやら、うとうとしながら色々思い出しているうちに眠ってしまったようだった。時計を見上げる。一時間くらい眠っていたみたいで、時計の針は夜の七時過ぎをさしている。

 色々思い出しすぎて、休息のはずなのに疲れた。この間の告白もどきを思い出すといまだに心臓がばくばくして体に悪い。できれば早めに忘れたいが、日ごろ刺激が少ない生活を送っているせいであれを超える衝撃的な出来事には中々出会えなくて難儀している。強いていえば、夜のことくらいで、それはそれで覚えたての息子が元気になるので思い出すのはやめておくしかない。

「……起きるよ」

 休日は貴重だ。それもカラ松とすごせる週末は。人をだめにするクッションから起き上がって、何とかテーブルの上に手をつく。このまま後ろに倒れたら気持ちいいのはわかっているが、我慢だ。だめになるのは今日じゃなくてもいい。

「そうか

 言いつつうれしそうな顔をするから、眠気も飛ぶというものだ。

「じゃあ、あのな、今日は大事な話がある

 えへんと咳払いの真似をしてカラ松の視線が上がる。正座に切り替えたらしい。つられて一度座りなおして正座になる。視線の高さはほぼ同じだ。

「大事な話って何」

 カラ松は俯いたまま、唇を真一文字に結ぶ。突如流れ始めたシリアスな空気にごくりと唾を飲み込めば、そっとテーブルの上に茶封筒が乗る。賞与、という黒い判子が押されたそれをまじまじ見て、呆気に取られていると目の前のカラ松がにんまりと笑った。

「ボーナスが出ました

 驚かすんじゃねえよと言えば、カラ松は驚かせたかったからいいんだとにまにま笑う。こいつも割りと人を弄るのは嫌いでないあたりはもう血だろう。

「はじめてのボーナス

「祝杯はもちろんおごりだよな、兄さん

 にまにま同じ表情でやりかえればサムズアップが帰ってくる。百も承知、楽しいことはおすそ分け半分こは慣れっこというか当然の義務として叩き込まれてきた六つ子の兄弟の空気読みはここで発揮される。

「おうっ飲もう飲んでくれ

 弱いなりに、酒を飲むのは楽しい。アルコール度数の低いものであればひとりで開けられるし、強いものであればふたりで分けてゆっくり時間をかけて飲む。ふわふわと酔うくらいで一旦酒を止めて、ひたすら水を飲み続けると二日酔いが来なくていいと気付いたのはこいつと飲むようになってからだ。

 二人だけの静けさにだけ慣れなくて、いつもテレビつけている。ニュースでもバラエティでも何でもいい、適当なチャンネルに合わせておいて、聞こえた単語から適当に何か話しを続けるのがお決まりだ。誰かの話題に乗っかって別の話題がはじまる、そういう兄弟たちとの賑やかな飲みに似ている。似せている。

 酒は進み、二度目の給水タイム。時間もずいぶん深まってテレビもバラエティからドラマに変わっている。話題も尽きて、マグに入った水をちびちびと飲みながら二人で画面を眺めている。

 男女のラブシーン。深夜だからか、少し艶っぽい。もうすぐ終電だから帰りなよと急かす男に、帰りたくないという意味はわかるのとけしかけている。

「帰らなくていいのか

 わざとらしく画面の中の役者を真似て、カラ松が俺に尋ねる。

「帰りたくないんだけど、この意味わかる

 付き合って同じように返してにんまり笑えば、カラ松はいっそわかりやすいくらい視線をそらした。

「……ねえ、本当にわかる

 テーブルの上で固く握られた拳にそっと自分の手を重ねる。俺の手は冷えていて、あいつの手は暖かい。熱いくらいだ。

「支度を、するから」

 だから手を離してくれと言って俯く顔を見て、酒のせいでなく赤く染まった頬や耳を見て、大人しく手を引っ込めてしまった僕はなんて即物的なのだろう。

 シャワーの音を聞きながら、ばくばくとうるさい心臓の相手をしている。妙に喉が渇くけれど水を飲む気にはならなくて、生唾飲み込みながらだめになるクッションに埋もれている。どちらかというとカラ松の一挙一動でわかりやすいくらいだめになる僕が一番だめだ。

 支度を済ませたカラ松がいると思うとくらくらする。兄弟。長く一緒に過ごした兄弟が、俺に抱かれる支度をしている。

 ぶるりと体が震える。背徳感で興奮する日が来るとは思わなかった。なんか間違えちゃったなあという思いもちょっとだけある。けど、今考えるのはやめよう。今だけは。

 風呂場のノブががちゃりと回って、湯気がふわと天井に伸びる。しとどに濡れたカラ松が、裸のまんまでちょいちょいと俺を手招きする。

「背中流してやる、服は洗濯機入れて来い」

 体を繋げたからなのだろうか、わかりやすく興奮してしまった己が浅はか過ぎて一瞬頭を抱える。けれどその後にいいことが待っているのを知っている僕は、よろよろと立ち上がって紫のパーカーを脱ぎ、くしゃくしゃに丸めて洗濯機に投げ入れた。現金な自身の制御はとっくに諦めている。

「お、来たな」

 バストイレ一緒だからちょっと狭い風呂場。換気扇がついたのか湯気のほとんどは消えている。裸になるのに抵抗はないが、これからするのだと思うと気恥ずかしい思いはある。

 ふと視線を落とせば、シャンプーとコンディショナーのボトルに並んで、ローションのボトルが並んでいる。蓋が緩まっていて、本当に支度終わっているんだと思うとたまらなくなって下唇を噛んだ

「ふはっ」

「笑うなクソ松」

「そのクソ松に興奮してるのはぁ

「……一松ですけど」

 何が面白いのかカラ松はずいぶん笑っている。酔いが回っているのかもしれない。

 浴槽に並んで立って、背中を向ける。風呂椅子は無いから、互いの体を洗うときは立ちっぱなしだ。

 泡だったボディタオルが背中を撫でる感覚に、銭湯でもこんなだったか思い出そうと思考を飛ばした瞬間、泡に塗れた手が落ち着き始めていた自身をそっと包んだ。

「ここもきれいにしないとな」

「……っ、あ、そ、だね……」

 そんなのありかよと叫ばなかったのを褒めて欲しい。アダルトビデオの見すぎじゃないの。思いながらされるままの俺を見ているのが楽しいのか、カラ松は鼻歌まで歌うご機嫌ぶりだ。

 ローションの蓋がゆるまっていた理由がわかる。こっそり仕掛けてやろうとしていたんだろう、してやられると面白くないけれどこういうのは嫌いじゃないからされるがままだ。

「一松は元気だなあ」

「お、お前、わざとだろ 遊ぶんじゃねえよ人で

 口実だった背中を流すなんてとっくに終わっている。

 たどたどしい手つきとはいえ、まず他人に触られている時点でひくりと反応する自身はすでに雫を落としている。先っぽから裏筋まで、反応を伺うようにじわじわと触れられるとさすがに息が漏れた。

 まずい。息を止めた瞬間、ぐりぐりと弄ってくるのがもう、まずい。

「からまつ、手、止めろって」

「楽しくなってきた、いってもいいぞ

「だからっ、俺でだけ、遊ぶの、やめろって

 自身に添えられた手首を捕まえて止め、ぐるりと振り返る。俺だけ弄ばれるのなんてごめんだ。

「……なんつー顔してんの

 カラ松の瞳はとろりと欲がとけている。散々人のを弄ってその顔をしているお前のほうがよっぽど余裕がなくていやらしいじゃないか。かっと頭に血が上った勢いで壁に押し付けて、じっとにらみつけると観念したように目を閉じた。唇を重ねて、呼吸すら奪うように重ねていく。

「ん、っん……」

 カラ松の唇と自分のそれは、全然違う。僕のはこんなに柔らかくて、もっととねだりたくなるようなそれじゃない。背中にカラ松の腕が回って、口付けは深くなる。息継ぎがうまく出来ないのは僕らどっちも上手じゃないから。

「は、」

 荒い息を吐くカラ松の自身も、僕のそれと同じように勃ち上がっている。直接触られてすらいないのに。

「人の触ってこんなするか、普通」

「一松が気持ちよさそうだったから、うれしくて」

 上手に出来たかと尋ねる表情に曇りのないが一切なくて、呆れ気味の笑いで曖昧に返した。カラ松の腕が引き寄せてきて、小鳥がついばむように一瞬だけ唇が触れる。

「続きは出てからにしよう、一松」

「……わかった」

 ここでのぼせてぶっ倒れたら笑えない。

 ベッド移動、ぺたぺたと足音がする。髪はびしょびしょだし、互いにタオルをかぶせて適当に吹いただけだから床に水滴が落ちている。これの掃除はあいつがやるのだろうなあと思って、知らん振りをしておいた。

 ぺらぺらの毛布はだめになる毛布のうえにどさりとおかれ、適当にごわごわのバスタオルをしいたうえにカラ松が転がる。

 転がって俺を見上げながら、目を細める。天井の電気が眩しいらしく、手で目元を覆った。

「電気、ちょっと暗くしていいか

「どっちでもいいよ、俺は見えるから」

 夜目はきくほうだから、俺は問題ない。カラ松が照れくさそうに笑って、最中のお前が見えないからもったいないと言うものだからいよいよ頭はショートした。電気の紐を一回引っ張る。外側の電球が消える。カラ松がぱちぱちと瞬きをしている間に、覆いかぶさるようにベッドに沈んだ。ぐええ、と色気のない声がする。

「あんたほんとさあ……」

「やる気でた

「本気じゃねえのかよ、クソ、見とけよ」

 余裕ぶったその姿を絶対に崩してやると決め、まずは吐息を奪う。絡む舌先から焦らすように逃げたり、上顎くすぐって煽ったりしているうちに鼻にかかった声が漏れ始める。

 濡れた髪をすくって、指に通す。頭を撫でてやるとカラ松はわかりやすいくらいほっと息を吐くから、案外撫でられるのが好きなんだと知った。

 もう片方の手では首筋を辿ったり、肩に触れたりと忙しい。襟足のあたりを猫にするようにやわらかく撫でてやると体がこわばる。絞めたりなんかしないのに。

 銀糸を切って唇を開放したころには、うっすら汗すら浮かべてお互い真っ赤になっている。

「あついな」

 額に浮かぶ汗が流れ、目に入りそうなのが気になって、舌でなめとった。うわ、と小さく声が上がる。赤い顔で腕を突っ張って、僕の肩をぐいと押して距離を取る様子に、さっきまでの余裕はない。散々さっき人のを触っておいて、自分がされる側になるとこの顔だ。

「不満

「違う

「じゃ何」

 ちょっと恥ずかしい。消え入りそうなほど小さな声。僅かに眉間に皺を寄せた。そうしないと、顔が緩むから。

「ほんと、さあ……」

 不慣れな指先であいつの体をたどって行く。腹にぺたりと手のひらを押し付けて、そのまま下に。下生えに触れるあたりで、鎖骨に歯を立てた。

「っ、ん」

 ゆるく勃ち上がったカラ松の自身には触れず、そのまま内腿へ触れるとゆるゆると足が開く。ベッドの下にある小物入れにローションを置いたのは前々回の泊まりからだ。

「も、準備は出来てるから、それは……」

「俺がしたいから、諦めて」

 とろりと手のひらに落ちるローションを見て、目をそらす。すでに準備が出来ているのに、延々と続く愛撫はひたすら羞恥でたまらないものらしい。わかっていてやっているのだが。

「一松、俺がいくまでやめないから、やなんだよ」

「あ、もういきたいってこと

 わざとらしくにんまり笑って中を探る指を一本増やせば、立てた膝がぴくりと震える。体に聞くのが一番早い。

「あッ、う」

 中がうねる。きゅうと指を締め付けるのは無意識とわかっているけれど、欲しがられているようで自身が熱を帯びていくのがわかった。

「いち、まつ、いちまつ」

 わかりやすく腰が揺れる。そこじゃない、もっと奥、別の場所だといわんばかりのそれは刺激が強すぎる。淫猥な水音と、普段は心地よい低音が掠れて耳に届いて、ぞくぞくと背筋に走るのは紛れもない欲情だ。

「わかってるよ……期待には応えないとね」

 男でも中だけで絶頂に達することが出来るのを知ったのは体を重ねるようになった後だ。今まで僕だけがよかったのかと陰鬱な謝罪をし、別に悪かったわけではないからと言うカラ松をしっかり絶頂に追い詰めることが出来るようになったのは割と最近のことで。

「うあッあ、は」

 体の内から、腹側を指で探っていく。明確にどこ、とわかっているわけじゃない。こういう風に探すと見つかりやすいのだ。わかりやすく体が反応するところがあればそこをじっくり苛めてやる。指の腹で撫でて、押して、そこに触れないように周囲ばかりを触れて。

「いい顔してるね、カラ松」

 快楽に溺れる顔、もどかしいと噛む唇、敷いたバスタオルを掴む指先から力が抜けて、僕の背中に回った。抱きしめるというより、より近付くための。

「は、やく」

 潤む瞳が強請る熱を与えてやれるのは僕だけだと思うと、口元がだらしなく緩む。指を抜いて、先走りを零す自身を宛がって一息吐く。

「う、あー……っ

 カラ松の喉が反る。背中に回された指に力が入って、僅かに爪が立てられた。痛みは感じない。感じている余裕がない。

 繋がった部分から全部持っていかれそうな感覚を覚える。女の体は知らないけど、この熱は知っている。知っているから、まだだと踏みとどまれる。

「すげえ熱い、からまつ」

 上擦った声で呟けば、中がひくりと疼く。中に自身を収め、落ち着くまでしばらくそのままでいるつもりだったのに我慢しようなんて殊勝な心がけは砕け散った。

 さっき指で探ったあたりを掠めるように突き入れる。焦れたカラ松の声が甘く違うと言い、指先がもどかしげに背中を這うのがたまらない。

「いじめないでくれよお」

 甘ったれた声が泣きを入れてくる。ひくつく腹、きゅうきゅうと絞るようにうねる内側は決定的なそれを求めていて、風呂場でされた分は取り返せたかなと思う。

「わかった」

 焦らしたかったんじゃなくて見つからなかっただけなんだけど、とはさすがに言えなかった。あたりをつけて調節してやればちょうど当たったらしい、途端に吐息が甘く染まる。

「あ、ッあ

 腰を動かすたびに響く水音と熱で、頭が焼き切れそうだ。緩急をつけて何度も抉れば、小さく首が横に振られる。汗の雫が飛んで、落ちた。

「一松っ、もう……だめ、だめだっ」

「いー、から、先、イッて」

 一緒に気持ちよくなりたいのは知っているけれど、それはまだ僕らにとって難しすぎる。先走りを零すカラ松自身にも手を添えてやれば、びくりと一際大きく体が震えた。

「はっ、あ、ううーっ……

 ぴたと動きを止める。絶頂の先で責められるのはしんどいと泣かれたのをちゃんと覚えていた。

 手に吐き出されたカラ松の精を腹に擦り付けてやる。髪の先から汗がぽたりとカラ松の体に落ちていったのを見て、そろそろいいかと突き入れた自身をずるりと抜き、仕切りなおしとばかりにもう一度突き入れた。びく、とカラ松の体が弓なりにしなる。

「あっ、待ってくれ、まだ……っ

「……もう、我慢できないって言っても

 こういうときだけ、ぶりっこをして小首を傾げる。カラ松は求められると弱い。それを受け入れて、うんと言ってしまう。悪癖だ。けれど今はそれを利用している。

 真っ赤な顔で、唇を噛んで、瞬きのたびにぽろぽろ涙を零しながら僕を見上げる顔にはあからさまに仕方ないなと書いてある。

「……おれで、よくなってくれ」

 あんたの殺し文句のほうが、僕の意地悪の何倍も性質が悪い。

 かっと熱を持つ体はわかりやすくて、そのままぶつけるように乱暴に突き入れた。中はさっきよりよっぽど熱く、快楽の余韻か、敏感になっている身体がまたびくりと震えた。

「ふ、ぅ」

 獣じみた吐息が漏れて、歯を食いしばる。大きく貫いては引き抜き、またそれを繰り返し、ぎしぎしと鳴るベッドの金属音が耳につく。

「んぁっ、あ、ひ」

 背中にしがみつく体力も尽きたか、敷いたタオルを握り締めているのを見てたまらなくなった。もう限界だろうに、つき合わせている。

「いちまつ、一、ぁ」

 繰り返し呼ばれる名前に、同じく名前を呼ぶことで返し、溺れていると自覚する。ひとりの人に、溺れている。兄弟だからとかそういうのは置いておいて、こいつだからこんなに溺れる。

「からまつ」

 名前を呼ぶ。瞼の奥、ちかちかと光が見える。やっと見えた限界に、勢いのまま中に欲を吐き出せば、互いの荒い息しか聞こえない。

「あつい……な、一松」

 呼吸が整わないまま自身を抜いて、カラ松に重なるように倒れこんだ。ぐええ、と色気のない声。さっきまであんなにいやらしかったのに。ちらと視線を送る。あいつもこっちを見ていて、視線が絡んだ。お互い汗まみれで、疲れきっているというのに懲りずにまた唇を求めて触れ合い、夜は深まっていった。

 

迎えた朝、背中からくる冷気にぶるりと震えて目が覚めた。不意に覚醒した脳は緩慢で、ぼんやり天井を見上げて何故寒いのかを考えている。

 十四松、あいつまた布団持っていったか。いや、でもそれにしては寒すぎる。

 布団を探して寝がえりを打てば、隣でぐっすり眠っているカラ松がいる。布団の殆どを持ち主であるカラ松に持っていかれていたようで、体が半分以上出ていれば当然目も覚める。

 何でそんなに寒いんだ、と布団を軽くめくればどちらも適当に着たシャツとパンツ一枚といった有様で、寝起きの頭は思考を一旦停止した。

 そのまま静止することたっぷり十秒。ようやく、そういえば昨日はと思いだすことが出来た。

 かっと身体が熱くなる。生々しい夜の記憶は鮮やかで、途端にぱっちり目が覚めてしまった。

 隣で寝息を立てているカラ松を起こさないようにそっと抜け出して、よろよろとクッションに沈む。今は積極的にだめになりたい気分だ。元々だめだけど。

 ひんやりと冷えているクッションは昨日と変わらず、すっぽりと身体を包んでくれた。

 カーテンの隙間から差す光はまだ弱い。時計を見上げれば、ニートには十分早起きの八時前。

 ベッドに視線を戻す。カラ松に目覚める気配はなし。

 すやすや眠る寝顔を見ていると、何でこうなっちゃったんだっけと少し思う。

 勢い。話の流れ。雰囲気。いや、それはこういう行為のきっかけであって、それより前。

 かっこつけたがりで、言葉がまだるっこしくて、あいつの思うかっこいいの演出が過剰だった頃は兄弟の中でまでキャラ作ってどうするんだと、社会の底辺が自分を大きく見せることに注力どうするんだと思って、つらくあたった。家を離れて会うことで、無理なく自分を見せるカラ松が好ましいと思った。

 距離が近すぎたのが、悪かったのかもしれない。 

 もう一度一緒に暮らせたらと考えたことがないわけじゃない。そうしたらもっと色々出来るのになんて都合が良すぎて、絶対に口には出せないことだ。

 酒盛りのまま起きっ放しのマグカップを手に取る。白湯だったそれはとっくに水になっていて、一息に飲み干した。喉の奥を落ちていく冷たさを感じながら、カーテンを閉める。部屋は薄暗く、静かになった。

 夜までに僕は家に帰らなくちゃいけない。ここはカラ松の家であって僕の家ではないから。また来ればいいのだ。来週でも、その次でも。

 僕とカラ松しかいない静かな部屋で、寝息だけを聞いている。忘れたくないなと思いながら。まだ起きないでくれと願いながら、僕は目を瞑った。

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