イラスト:奏謳音様

【WEB再録】堀川国広は嘗てのぬくもりを憶えているか?(16/10 発行)

池田屋事件での歴史遡行軍との戦いの最中、前の主の姿を見た。彼の手にある自分と、歴史遡行軍と戦う己の存在は同一なのだろうかと堀川国広は考える。
――同一だ。同一であるからこそ、僕は、僕らは、あるべき歴史を守らなくてはいけない。
歴史遡行軍の排除を行った後、審神者から大切な話があると集められた本丸の全刀剣男士たち。
審神者は政府からの命を受け本丸が解体されることになったとを告げる。
池田屋事件に出没した敵方の情報を集めた結果、戦が長期化しそうな気配があるとした政府は本丸と一度解体し、より拡大した新たな本丸を作ることが目的だ。
刀剣男士たちは人間の肉体を離れ、元の場所に帰すことになる。戦が終わった、僕たち――実体のない刀剣男士が還る先は、一体どこになるのか。
出陣も遠征もなくなった本丸。日が経つごとに他の刀剣男士たちはあるべき場所に還って行く。
本丸の刀剣男士の数が二十振りもいなくなった頃、こんのすけがとある報せを持って現れる。

堀川国広の存在証明、見守る和泉守兼定、終わる本丸の日々。

 

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一、

 前の主の背中を、一度だけ見たことがある。
 夜闇に包まれた池田屋。志士たちの怒号が響く。隊員らの刃が室内に射しこむ僅かな月光を写し、煌めいた。
 僕らは隊員たちの道を切り開くべく、遡行軍の速やかな排除の任についていた。遡行軍がひしめく暗闇の中、隊員たちを妨げずに奴らだけを確実に仕留めていく。新選組と共にこの戦場を駆けた男士たちを編成した部隊であることが幸いしてか、徐々に追い詰めていた。
 戦場は池田屋二階から一階へ移る。一階の最奥、喧騒から少し離れた一室に濃い闇の気配があった。人の気配とは明らかに違う不穏な闇は、遡行軍の親玉がそこにいることを如実に知らせてくれている。
 声を掛けあうまでもなく、隊員が静かに集っていた。僕らの周りだけ、喧騒が遠かった。時空が歪んでいるのか、ただの錯覚なのか、その違いはわからない。
 清光は闇の中に赤い瞳を煌めかせた。安定は薄く笑っているように見えた。長曽祢さんはその扉を睨み付けていた。僕は、隣に立つ兼さんを見上げる。冬の高い空のような、雪解けの水のような、碧の瞳と視線がぶつかった。それだけで、十分だった。
 いくぞとは誰も言わなかった。長曽祢さんが襖に手をかけるのと同時に、吠える。その声は獰猛な獣に似ていた。
「御用改めである!」
 叫ぶのと同時に、兼さんが飛び込んでいった。迎え撃つ遡行軍は少なく、身を固くしている。続けて安定が、清光が躍り出る。
 最後になった僕は、部屋に飛び込む寸前に追手がないか確かめるために後ろを振り返る。
 池田屋の入口を背にし、中へ誰も入れまいとする浅葱に目を奪われた。だんだら模様の白が暗闇の中に浮かびあがる。
 顔も見えない。声だって聞こえない。背中が見えるだけなのに、それが前の主だとすぐにわかった。そこに僕もいる。まだ肉体を与えられていない、脇差につく付喪神であった頃の僕だ。
 懐かしいと言うより、不思議な感覚を憶えて足を止めた。
堀川国広。あの人の手のひらの温度を知る、僕という脇差。浅葱のだんだら見ながらふと気づく。ここにいる僕は、あの人の持つそれと同一なのだろうか。
 ――同一だ。同一であるからこそ、僕は、僕らは、あるべき歴史を守らなくてはいけない。
 口の中で小さく、御用改めであるとつぶやき、皆の背中に続いた。もう振り返らなかった。
 刀である自身を握る己の手のひらは、熱く燃えている。その温度はあの人と同じだっただろうか。切りこむ部屋の中、敵大将の懐に飛び込んでその首を刎ねた。
 池田屋への出陣で得た戦果で、僕は誉を取った。


二、

 桜の花びらが兼さんの髪に絡む。そうっと取って、空へ逃がした。本丸の春を彩って咲き乱れる花々を見ながら大広間へ向かって急ぐ。審神者である主さんから、本丸の全刀剣男士へと召集がかけられたのだ。
 先の池田屋への出陣で負った傷の手当も終わり、政府への報告を済ませて一週間経った。常は報告から三日以内に歴史が正しい状態に戻ったことを確認した報せと、新たな歴史修正の気配がある地点の報せがくることを考えると随分遅い。
 恐らく、新たな歴史修正の気配のほかに、何らかの情報があったのだろう。良い報せならもっと早く届く。こんなに遅く届いたということは、政府の動きも慎重だったのではないかと僕は考えている。
「何の話だろうね、兼さん」
「さあな、ろくな話じゃねえのは確かだ」
 普段は出陣・遠征・内番と別々の任についている僕らが全員揃うというのは、中々珍しいことだ。
 特にこの相模国本丸は他の本丸に比べて規模が小さく、顕現が可能な刀剣男士が全て揃っているわけではなかった。少数精鋭を目指した政府の施策らしいのだが、大和国や備前国の本丸と比べるとおおよそ半分ほどの戦力――全刀剣男士を集めても五十振ほどになる。
 本丸の全刀剣男士が呼び出されるのは、三度目のことだ。一度目は検非違使の出現が確認された時で、二度目は大阪城地下に謎の財源があると政府から情報がもたらされた時。どちらも戦況に変化や、新たな探索を求められる場合に集められることが多い。
 そして、今回で三度目。
 相模国本丸は、前線維持の要所として先駆けを長く勤めて来た。新たな戦場が見つかったとあれば、今回も他の本丸が本格的な攻略をする前に情報収集を主とした進軍を行うことになるかもしれない。
「お仕事があるのはいいことだと思うけど」
「国広はそうだろうよ、俺はいまいちなあ……」
 隣を歩く兼さんを見上げれば、退屈そうなあくびをかみ殺し、目元に浮かんだ涙の粒をぐいと拭うところだった。
 戦でも演習でも手合わせでもなければ面白くない、と顔に書いてある。
 僕たち付喪神は、主さんのお陰で肉体を得て、自ら戦うという選択が出来るようになった。兼さんがそれに喜んでいたのを知っているからこそ、苦笑が漏れる。戦うこと以外に興味がないと言えば言い過ぎだけれど、己の役目は主の、前の主の矜持を守ることだと考えているだけに、それ以外はおざなりだ。畑当番や馬当番だってこっそり逃げ出そうとするきらいがある。今日の大広間での集会だって、居眠りしないように見張っていなくちゃいけない。寝たら膝をくすぐってやろうと僕が企んでいるなんて、兼さんは気付かないはずだ。
「主は、まだ来ちゃいねえな」
 大広間へ到着し、中を覗き込む。全員には少し足りない。数人欠けているようだ。兄弟である山伏国広の姿が見えないし、三日月さんと小狐丸さんもいない。三条の刀はどこかのんびりとした気風があって、こういう集まり事では最後にやってくるのが恒例だった。
「堀川、和泉!」
 既に大広間にいた安定が僕らを見つけて手招きをしている。一角に馴染みが揃っているらしく、招かれるままその場へ座り込んだ。長曽祢さんや清光も居て、片手を上げて挨拶の代わりにする。
 安定はやる気のない兼さんと反対に、開口一番何の話だと思う、と尋ねてくる。目をきらきら輝かせながら言うものだから、まるで無邪気な子犬のようで少し笑えた。
「僕はまたどこかのお城で財源が見つかったのかなって思うんだけど……ずーっと戦が出来るから結構好きなんだ、小判集め!」
 いっぱい首落とせるし、と爽やかに言い放つ。血なまぐさいのはもはや来歴由来としか言いようがなく、彼らしいと言えばらしい。清光は爪の先を見ながら、ふっと笑う。
「俺は主の役に立つなら何でもやるから、何でもいいかな」
 安定の無邪気さが来歴によるのであれば、清光が主に尽くそうとするところもまた来歴に由来していると言えた。それには、僕も同意である。主さんの役に立つことは、ひいては前の主の歴史を守ることに直結するからだ。
「僕もそんな感じかなあ」
「えーっ、ふたりとも真面目だなあ……」
「お前もある意味真面目だが……」
 半ば呆れ気味の長曽祢さんの声。安定は無邪気な分だけ性質が悪いというか、そういえば僕らは刀についていた付喪神であったな、ということを思い出させてくれる。
「皆、お待たせしてすみません。始めましょうか」
 主が山伏国広を伴って現れる。山姥切も一緒だった。二人とも何だか雰囲気が固い。何の話をしていたのだろう、これから主さんがする話に関係があるのだろうか。後で、様子を見に行ったほうがいいかもしれない。
 いつのまにか、大広間には全刀剣男士が揃っていた。三日月さんと小狐丸さん、二人の横に、今剣くんが座っている。どうやら彼が二人を連れてきたらしい。岩融さんが今剣くんを手招いて、その膝に乗せた。いつもの光景である。
 兄弟が大広間の端に着席したのを確認して、近侍である長谷部さん咳払いをした。注目と、静かにの合図である。誰ともなく口を閉じ、場は沈黙に包まれる。
「大事な話があります」
 主の凛とした声が響く。一度目、二度目のときと同じ切り出し方だ。あんまり楽しそうなことじゃないだろう、とばかりに兼さんは安定へ視線を送る。安定はご機嫌なままだ。
 主は、結論から言うけれど、と前置きをして全員と目を合わせるように広間を見渡した。その視線は、常の柔らかなそれではない。緊張を含んだもので、その場の空気が僅かに冷えた。胸騒ぎを覚える。何か、大変なことが告げられる気配がしている。聞いてはいけないような気持ちと、聞かなければいけないという気持ちが混ざって、お腹でぐるぐると渦をつくっている。
「この本丸を、解体することになりました」
 清光が小さく声を上げる。安定は瞬きを三度した。くりっとした目が、驚きを訴えている。兼さんもかっと目を見開いて、主をじっと見つめている。僕も同じだ。沈黙が破られる。ざわめきが広がっていく。
「静かに。ごめんね、今から説明するから」
 長谷部さんが『静かに』と書かれた札を掲げる。これは会議中に怒鳴り散らすより良い、という理由で採用されたのだが、この場では逆にシュールの塊である。主さんは苦笑を浮かべたまま経緯の説明に移る。
 曰く、池田屋の歴史遡行軍が恐らく陽動であること、まだ戦が続く気配があることを鑑みて、この相模国の本丸を停止・解体し、より拡大した新たな本丸を作ることが目的なのだという。
 この本丸に居る刀剣男士は全て元の時代へ戻ることになる。例外的に別の本丸に移動したり、歴史的に見て重要な局面へ配置されたりするということはあるが、全員の行く先についてはもう決まっていると告げ、主さんは深く頭を下げた。
「勝手に呼び出して勝手に終わり、政府の都合で戻ってもらうことになってしまったけれど……深く感謝しています」
 声音が僅かに震えているのはすぐにわかった。涙を流すというより、感極まったというのが正しいだろう。
 歴史改変を目論む歴史修正主義者によって過去の事象が攻撃されることが始まってから、物に宿る付喪神である僕らと共に戦場を駆け続けた主さん。本丸が小さく、戦力が少ない分、苦労したこともあった。出陣と遠征のやりくり、他の本丸より先に情報の少ない戦場へ向かう僕らの支援。資材の長期保存が難しく、政府に倉庫の新設を依頼していたのだってよく知っている。その姿を見てきたのだ、ずっと傍で。
「そしてまたいつか会う時があれば、どうか正しい歴史を守る手助けをしてほしい」
 頭を下げる姿を見て、胸が熱くなった。同時に、終わってしまったのかという虚しさもあった。長曽祢さんが小さくため息を付く。清光と安定は顔を見合わせてから、握手を交わしていた。僕は兼さんを見上げる。函館の戦場で見たような涙は、なかった。
 少しずつ、広がっていく。戦が終わった喜び。歴史を守りぬいたという感慨。同時に、困惑もある。戦が終わった僕たちが還る先は、一体どこになるのか。
 どの刀剣が何の役割を果たすかは、個別に呼び出して話をするらしい。主さんから呼び出すまでは各自待機、明日以降の出陣・遠征・内番については、これから長谷部さんが指示をしてくれている。大広間は、既に『静かに』の札が意味を為さないほどの騒ぎへ発展しつつあった。
「元に戻るってことは……もう戦が出来ないってことか」
「まさしく無用の長物に戻るわけだなあ」
 出陣は全て停止となる、という長谷部さんの声を聞きながら、僕らの後ろに座っていた第二部隊の胴田貫さんと御手杵さんが囁き合っている。出番がなくなることを残念がりながら、二人は手合わせの模擬試合でつかなかった決着をつけると行って早速出かけて行った。
 第四部隊は遠征へ、編成が変わるから発表と待つようにと声が続く。僕らの斜め前、三条派の人たちが揃う中、岩融さんの膝に座っている今剣が主さんのいなくなった上座を熱心に見つめている。
「ぼくたちは、どこへかえるのでしょう?」
 岩融さんは優しくその頭を撫でてやりながら、役割を果たすだけだと答えた。
 ぽつりと漏らされた一言にはっとする。
 僕は、どこに還るのだろう。どっと心臓が高鳴って、指先が冷たくなっていく。
 歴史を守ると言う役割は果たした。この本丸を解体するというのなら、この後の僕らは元の場所に戻るだけだ。
「国広」
 兼さんがじっと僕の目を見つめる。その視線から、同じ碧から、逃げた。
「大丈夫」
 大丈夫、と繰り返す。自分に言い聞かせるためでもあった。
 内番は変わらず行うというのを聞いて、僕は立ち上がった。馬当番の任に当たっていたのだ。急ぐ必要はないのに足が早まる理由は、その碧から逃げるために他ならない。すれ違う今剣が、広間に吹き込む花弁をその手で遊ばせていた。


 本丸解体宣言から五日が経った。
 変化は三つある。まずひとつは、出陣の停止。僕らが今まで行っていた出陣については、大和国の本丸が代わりに多くの時代の経過・観察を行ってくれることになった。
 ふたつめは、長時間の遠征中止。出陣もなければ新たな鍛刀も行えないのだから、この本丸で資材を調達しても用途がないのだ。
 三つめ、刀装作りの強化。今までに集めた資材を捨てるわけにはいかないから、刀装にして別の本丸に届けることになった。特に大和国の本丸へは厚く支援を行っていく、と主さんの口から聞かされている。
 そして、一部の刀剣男士は刀装と共に大和国の本丸へ所属を移すことになった。三日月宗近、日本号、信濃藤四郎。他にも数人。兄弟である山伏国広も、この本丸から去る。
 この本丸から出て別の本丸の所属となるのなら、それはもう会えなくなると言うことだ。停止までに残された時間は、あと一か月もない。兄弟が旅立つまでは、あと二日だ。
 庭の掃き掃除をしながら、ずっと考えている。何かを言わなくちゃいけない。けど、何を言えばいいのかわからない。
 ざあ、ざあ、と箒で土を巻き上げる音がしている。何も言わないほうがいいかもしれない。でも、もう会えなくなってからでは遅い。箒に桜の花びらが絡む。たんぽぽの綿毛。枯れた枝。一山作って、ため息を吐いた。
 この本丸は今まで誰も欠けたこともなかったから、兄弟がどこにもいない本丸というのが想像できないのだ。昨日まで隣にいた兄弟が明日にはいなくなるというのは、どういう感覚なのだろう。胸のうちで何かがぐるぐると渦巻いているのだけれど、うまく言葉にできなくてもやもやする。
「やあ、今日も世界は驚きに満ちているな」
 視線を落としたところに、鶴丸さんがしゃがみこんでいた。いつの間に現れたのか、全く気が付かなかった。この姿勢からして、恐らく視界の外から奇襲でもかけるつもりだったのではないだろうか。立ち上がって、膝を伸ばす。気まずさを誤魔化す猫の仕草にも似ていて、ついくすりと笑ってしまう。
「驚き、ありました?」
「そうだな、君の印象とか」
 鶴丸さんは、僕の手の中にある箒を奪い取とって、枯れ葉と花びらの山をざっくりと崩す。
 本丸は季節を彩ることをやめてしまった。この花が、この葉が、庭に落ちる最後のものになる。あとはただ、生活するのに心地よい温度、湿度、それに耐えうる緑しか存在しなくなる。
 本丸に季節を作っていたのは主さんだった。僕たちが人の身体を得たのだから、前の主たちが楽しんだ四季を知ってもらうのが良いだろうと本丸の環境を作り変えてくれていたのだ。本丸が停止する以上、その季節を操る仕組みも必要がなくなる。季節がないとつまらないね、と歌仙さんがぼやいていた。暑くなくなるのはいいけど、スイカの美味さが半減だと兼さんが続けたものだから、雅がないとおしかりを受けた。
「君が腑抜けるとは意外だった」
 面と向かって腑抜け、と言われると流石に苦笑が漏れる。確かに、いつもより考え事をする時間がずっと延びた。その間ぼうっとしている顔を見られていたのかもしれない。その視線に気付いていなかったのだから、腑抜けで合っている。
「どんなイメージだったんですか、僕って」
「地に足がついているんじゃないかな、と」
 そう言う風に見える、という話だろう。鶴丸さんはイメージの話だから、と言い添えて僕の目をのぞき込む。色素の薄い目にはっきりと僕がうつっているのが見える。鏡みたいだと思うより先、その目は楽しげに弧を描いた。
「君は、本丸が解体された後のことを考えている。そうだろ?」
 どきりとした。
 隠しごとは上手な方だと思うけれど、まさか面と向かって指摘されるとは思わなくて俯く。碧い目からも逃げ、今再び鏡のようなそれからも逃げた。
「僕は……最後に自分がどこにいたか、わかっていないので」
 僕の他にだっている。実体がない刀、すでに消失している刃、伝承の中にしか存在しない付喪神たち。元の場所に帰ると言うのならば僕たちの魂はどこへ還るというのか。
「どこに帰るんだろうなあ、俺たちは」
 かつての主の元に帰れれば万々歳なのだが、という鶴丸さんも曖昧な表情を浮かべている。彼も彼でアンニュイになっているらしい。同じように曖昧に笑って誤魔化した。
 僅かな沈黙。鶴丸さんの所在の由来、縁については、何度か話題になったことがあった。以前の主と共に埋葬されたという話は、主と離れてしまった僕たちからすれば羨ましく、そうであればよかったという声もあったのを覚えている。
 常は人を驚かしたり、戦場で見せる苛烈さであったりと陽を想像させる人となりをしている彼であるのに、ぽつり、ぽつりと静かに話すのが印象的だった。彼のその白が、死に装束に見えるほどであったから。 
「帰りたい場所があるんですね」
「そうとも」
 どこを思い浮かべているか聞くのは、野暮だった。鶴丸さんは僕に箒を突っ返す。崩れた山、変色した花びらと枯れ葉と枝が僕らの足元に残る。
「君にもあるだろう?」
 ひらひら手を振って去っていく彼を見送る。言いたいだけ言われてしまったと、少しだけ放心していた。
 歩いていった先で、大倶梨伽羅さんが鶴丸さんの首根っこを捕まえた。ずるずる引きずっていかれる先は、恐らく畑である。ああ、体よくサボるつもりだったのだなと気付いて気が抜けた。
 腑抜けている自覚はあった。本丸を去る兄弟のこと、停止する本丸のこと、守られた歴史のこと、そして僕の行き先について考えないではいられなかった。
 僕の本体がどこにいったかはわからない、存在もはっきりとしていないのだから当然だ。
 驚いたのは、帰る場所がないということに動揺している自分がいたということだった。突然に始まったこの生活を、人間の肉体をもって戦うことを、僕は案外に気に入っていた。
 鶴丸さんの崩した枯れ葉と花びらの山を再び箒で集める。彼がかつての主の元に戻りたいと言うのであれば、僕はどこになるだろう。
 あの京都の、動乱の中だろうか。その時はきっと隣に兼さんがいてくれる、はずだ。
 一人ではないと思う反面、兼さんは今でもその姿を人々に見せていることを考えると、この本丸にいた兼さんが隣にいるわけではない可能性が浮かぶ。
 いなくなる兄弟のことを考える時と、兼さんのことを考える時の胸の軋みは少しだけ違う。複雑な感情は難しい。僕は未だ、人間の身体をうまく使えないままだ。
 兄弟のことを考えているときは、いなくなる空間を考えて胸がすかすかするような、背中が寒いような心地になる。春の終わった本丸の庭を見ているとき、同じ気持ちになる。
「……兄弟」
 呼びかけられて、はっと顔を上げる。いつのまにか山姥切が目の前に立っていた。
「どうしたの?」
「喉は、乾いていないか?」
 山姥切は、片手に茶器を入れた籠を下げている。兄弟の誘いは、いつも一歩控えめだ。茶を飲もうというそれすら。
「そういえば喉が乾いちゃった」
「山伏も、さっき馬当番が終わったところなんだ」
「じゃあ、一緒にお茶しようよ」
 兄弟を見送る前に何か話をしておこうと思ったのは、僕も山姥切も同じらしい。二人で顔を見合わせて、くすりと笑いあった。
 山伏を待たせてあるという兄弟は、塵取りとごみ袋まで準備してあった。終わるまで待っていたというより、終わらせにきたという装備だ。
 春という季節を謳歌していた本丸の名残を袋に詰め、口を縛る。もう桜をこの目で見ることもないと思うと、少しだけ寂しい。山伏のことを思うときの感情を言葉にするなら、この言葉が一番近い気がしている。
 なら、兼さんのことを考えている間の気持ちは何か。もっと身体が熱くなって、離れがたくて、その言葉を何に例えればいいか、僕は未だにわからないでいる。


「桜はついに終わってしまったのだな」
「……鳥も随分減った」
「どこにいっちゃったんだろうね」
 三人で並んで、茶を飲んでいる。本丸は季節を彩ることをやめたとはいえ、その緑は鮮やかで、僕たちの心を和ませてくれる。
 両手で包んだ湯のみに、それぞれのタイミングで口をつける。春の庭でさえずっていた鶯は遠くの山へ帰り、今はそよぐ風で葉の揺れる音がするばかりだ。
 刀派が同じというのは、人間で言うと血の繋がりがあるということになるらしい。山姥切は僕にとって初めて出会った兄弟で、山伏は僕らに安心感を与えてくれる兄弟だった。二人とも初対面でありながら初対面とは思えず、最初からここにいたかのようにすぐ馴染んだのを覚えている。
 人間の兄弟の間柄というのがどんなものか、僕たちは知らない。けれど、このあたたかな繋がりは確かに僕らを繋いでくれていた。少なくとも、僕にとってはどちらもかけがえのない存在だ。 
 その兄弟がいなくなると思うと、唐突にこの時間が惜しくなる。今すぐ時間が止まってくれたっていい。僕ははっきりと、寂しいという感情を噛み締めていた。
「寂しいっていうの、やっとわかった気がするよ」
 山伏国広は、明るい人だった。赤や黄の色鮮やかな花々にすら負けない存在感があって、竹を割ったようなさっぱりした性格をしていて、夏の賑やかな山々が似合う。兄弟はからから笑いながら、僕の湯呑みにお茶を波々注ぎ足した。
「寂しいことなどあるか、心は常に兄弟と共にある」
 離れていても、兄弟の心の中に僕も山姥切もいるのだと、兄弟は言った。
 別の本丸にいく。新たな主が待っている。何度となく守ってきた歴史を、これからも守っていく。終わらない戦は、兄弟にとって修行なのだ。
「それがどこでも?」
「どこでも」
 カカカカカ、と耳に馴染む笑い声。これも聞こえなくなるのかと思えば、寂しい。今は何を考えても、寂しいという気持ちが押し寄せてきてしまって、僕の心はふわふわと落ちつかない。
 どこでも、というのなら、元の場所とやらに戻ってからもそうだろうか。僕は注ぎ足されたお茶を一気に飲み干して、それから兄弟に問いかける。
「……僕がどこにいても? 帰る場所がなくても?」
 意地悪な質問をしてしまった、と少しだけ後悔した。
 山姥切が顔を上げて、僕を見た。山伏は目尻を緩ませて、。
「拙僧は未熟ゆえ、言葉では上手く伝えられないかもしれぬ」
 空になった湯のみを盆に戻し、山伏は僕の手にあるそれも盆に戻した。それから、両手をぎゅっと包み込まれる。手のひらは僕より大きく、ごつごつしている。
「兄弟、我々の縁が切れることはない」
 山伏の声は穏やかだった。未熟なんて、と思う。未熟なのは僕のほうだ。これから自分がどうなるか不安に揉まれて、兄弟を送り出すべき言葉が選べないでいる。
 山姥切は静かに茶を飲んでいる。僕と山伏の会話にただ耳を澄ませている。声を覚えていよう、という姿なのかもしれなかった。
 熱が移る。山伏の手は、僕のそれよりずっと熱い。
「……兄弟に会えて、良かったなあ」
 涙声を出す情けなさは、今は忘れる。滲む視界を瞬きで打ち消して、笑顔を作る。今生の別れじゃない。僕たちの縁が切れるわけではない。なくならないのだ。
 山姥切が、僕たちの間にそっと入るようにして、その手を重ねた。この体温を忘れないと思うし、同時に忘れてしまうのだろうとも思う。忘れたとして、この縁はなくならないから、大丈夫なのだと思える。
「元気で、兄弟」
「……達者でやれよ」
「ああ、またいつか!」
 山姥切の声はいつもと変わらないように聞こえた。僕の声も、努めて明るく出したつもりだ。山伏もまた、同じだ。
山伏は支度があると言って先に帰っていった。僕と山姥切は、並んでお茶のおかわりを入れている。
「……明日からは、僕らも修行する?」
 山姥切がくすりと笑う。
 本丸の刀剣男士は、半分になった。


三、

 がらんとした大広間。山伏と数人の刀剣男士を見送ったささやかな宴が終わり、ぽつりぽつりと残っている数人は思い出話に花を咲かせている。
 少し前はどんちゃん騒ぎだったのに、今はその喧騒もない。本当に本丸が終わってしまうんだなという実感がじわじわと僕の中に広がっている。
 兼さんが誰かの残していったらしい酒瓶を抱えて、僕の背中に寄りかかったまま寝ている。触れる体温は高い。お酒にあまり強くないのに、延々飲み続けたからだ。
 じんわりと僕の背中に熱が移る。けれど、肉体を失えばそれもなくなってしまう。僕と兼さんを繋いでいるのは、前の主が同じという縁だ。兄弟の縁が繋がるなら、一緒にいた縁もまた繋がるだろうと思えるほど、僕は楽観的ではない。
 今もなお名を残す兼さんと違って、僕の行方はわからないからだ。
 兼さんのことを考えていると、胸の内側が熱くなるなんだか泣きそうにもなる。離れたくないなあ、と思えば思うほど、行き先を考えずにはいられない。
「おや、二人で宴かな」
「主さん! ……ええと、兼さんが起きるまで」
 夜風にあたりにきた主さんが、僕の背中で眠る兼さんの様子を見て小さく笑った。
「部屋まで運ぶのを手伝おうか?」
「起きたら引き上げるつもりなので、大丈夫です」
 刀剣男士ならまだしも、審神者である主さんの肩を借りるなんて、兼さんが起きた時に大騒ぎになってしまう。かっこよくて強い刀は、主の前で醜態を晒さないのだ。
 主さんは兼さんの抱えていた酒瓶を引き取って、僕の隣に腰を下ろす。僕は何も言えなくて、兼さんの寝息と、遠くのささやかな話し声しか聞こえない。
「堀川、君は元の場所に戻る……ということについてどう考えている?」
 主さんが唐突に切り出した。どきりと心臓が跳ねる。
「どう、って……」
「何か、悩んでいないかと思ってね」
 兄弟にも、不安が伝わっていた。鶴丸さんからも様子がおかしいと言われた。逆に考えて、主さんが気にしていないはずがなかったのだ。気を使わせてしまったのを申し訳なく思うのと同時に、今でなければ聞けないとも思う。もうすぐ本丸は終わってしまう。聞かなくちゃ。僕は、どこへ行くのか。
「戸惑いが、あります」
 一言目、喉が震えた。続けて、戦いが終わったら、実戦刀としての役目が果たせなくなること。どこへ還るのかわからないことも話した。主さんはそれに小さく相槌を打ちながら聞いてくれている。
 僕は、脇差だ。近藤さんが書いた手紙に、たった一行残されたそれが僕の存在証明で、それ以外は何もない。土方さんが使っていた、という。
 目覚める前の記憶はふわふわと宙に浮いていて、はっきりしない。ただ、兼さんと確かに一緒だったことだけはわかっている。
 この本丸に来て人間の肉体を得てからは、役に立てば、歴史を守るために戦うことが、僕が僕である理由だった。僕の世界はそれで成り立っていた。けれど戦が終わってしまえば、自身を振るう理由がなくなれば、また誰に繋ぎとめられることもない、ふわふわとした存在に戻ってしまう。
「もっと早く、話をするべきだったね……」
 主さんはそう言ってから、理論上の話と念を押した上で、歴史からその姿を消した刀や、伝承の中に居る刀たちがどこに還るか、という一説を教えてくれた。
「現存している刀剣は本体へ、現存していない刀剣は想念が宿るに相応しいところへ還ると考えられている」
 想念が宿るに相応しいところ。例えば新たに作られた自身の写し、失われていたと思われていた本体。人々の思いが募るところ。
「想念が宿る場所……」
 主さんは僕の目を覗き込む。目は、逸らさなかった。
「行方がわからないものも同じで……想念が宿る場所……刀剣と人々の想いが繋がらなくなるために行方はわからないままですが、消えるわけではありません」
 難しい表情。想いを繋ぐというのは、よほど難しいのだろう。一度繋がった縁は切れないと言う兄弟の言葉が頭をよぎる。その言葉を、僕は信じたかった。今背中に残る兼さんの重さも、熱さも、僕だけの想いでこのままずっと繋がっていられたらと思うくらいには。
「繋がっていればきっと、どこかで」
 僕が小さく呟く。それを聞いて頷く主さんの表情はずっと優しい。僕たちを戦場に送り出すとき、出迎えるとき、いつだって温かかった。
「……あっ? 酒、は……」
 背中で寝ていた兼さんが起きる。寝ぼけて伸びた手が乱暴に僕の頭を撫でて、酒じゃねえと文句を言うから呆れた。
「もう、兼さん! 宴はもうおしまいだよっ!」
「これはしまっておくから、早く部屋まで連れていくといい」
 主さんに頭を下げ、兼さんに肩を貸して部屋に向かう。兼さんは、きっと主さんがいたことに気がついていない。いつものかっこよくて強い、が完全に抜け落ちていたからだ。
 夜空に浮かぶ星を見上げる。この日々ももう終わるのかと思うと、ただただ寂しい。
「国広ぉ」
「なあに、兼さん?」
「……あったけえな、お前」
 寝冷えしたのか、兼さんはぺったりと僕にくっついてくる。猫か子馬か、その仕草が幼くてかわいらしい。腰にまわした手で背中を叩き、今すぐにも寝そうな兼さんを連れて急ぐ。
 僕は誰かの想いが宿る場所に還ることになる。それが兼さんの近くならいいのに、と思わずにはいられない。おぼろげな記憶の中で、唯一わかった僕の相棒。離れがたい理由の一つに、この体温がある。
 本丸の夜には偽物の月と星が輝いている。相模国本丸完全停止まで、残り十日を切っていた。


 日が昇り、朝を迎えた本丸の工房は忙しい。いくつか残った資材も刀装にしてしまうことになって、数人が篭って延々と作業を繰り返しているのだ。
 兼さんはどうせやるなら金を作ると資材と睨めっこをしているし、清光はそんなに焦ってやらなくても資材は尽きるとのんびり取り組んでいる。僕もその一員なのだが、資材の残りを見て何となく手が止まった。
 全ての資材が残り五百を切った。習慣というのは恐ろしいもので、これが零になれば手入れも出来ない状況と考えると少し背筋が冷えるような気持ちになる。軽傷にいかない僅かな傷でも手当には資材がいる。本当にこのまま使い切っても良いものだろうか。
「……これ、やってもいいものかなあ」
 工房にいる職人さん――僕たちよりずっと小さく、可愛らしい見た目をしているのに頼もしい彼らに尋ねてみるも、よくわからないとばかりに小さく首を傾げられるばかりだ。
「いいんじゃないの? 残しておいても、使えないんだから」
「刀も作れねえもんな」
 二人の言うことはわかる。でも、このまま使い切るのはいけない気がした。
「ほりかわは、まじめですねえ」
 清光の膝から、今剣が眠たそうな声を出す。今剣は遠征隊の隊長をしていた。遠征がなくなってからは、こうして人の集まっているところでちょこちょこと歩き回ったり眠ったりしている。
「僕、主さんに聞いてくるね」
 確かめるために工房を出て、主さんの部屋へ向かった。三人はひらひらと手を振り、再び資材とのにらめっこに戻る。
 工房から主さんの部屋は近く、庭を横切っていくと三分もかからない。
 縁側から廊下に上がって、主さんの部屋の前までさしかかったところで、中から声が聞こえてきた。先客がいるなら引き返そうかと悩む僕の耳に飛び込んできたのは、甲高い悲鳴にもにた叫びだった。
「緊急事態でございますっ!」
 こんのすけの声だ。政府と主さんの橋渡しやら、新たな情報の付与やらで見かける、小さな狐。主さんの部屋の障子が中途半端に開けられたままで、いけないことだとわかっているのに恐る恐る覗きこんでしまった。
「既に歴史を修正、遡行軍を排除したはずの場所に変動があります! 今までにこのような反応が出たことはありません。大和国も備前国も出陣で手が回らず……」
 ぴいぴいと鼻を鳴らしながら主さんに訴えている。どうやら援軍を求めているらしい。主さんは困った顔をしながら、こんのすけの話を聞いて腕組みをしている。
「とはいえ、相模国は戦力が……」
「時代は幕末、函館の戦場。戦力が少ない状況であることは理解しています! ですが、正しい歴史の形が変えられてしまいますう……」
「……函館の戦場」
 ぽつりと復唱すれば、室内の主さんと目があった。
「……承りました」
 こんのすけはほっと安心した様子で、ぴょんと机から跳ね降りる。着地する音はなく、そのまま姿を消してしまった。
「堀川、聞いていたとおりです。遠征部隊を組むので、刀装作成は一度止めるよう話をしておいてもらえますか?」
「はいっ、わかりました」
 函館の戦場への遠征は、短刀が中心になる。今剣を呼んでくるように言われ、再び工房に戻る。
 再びの歴史改変、しかも函館の戦場。何も起こらなければいいのだけど、こんのすけが取り乱すほどなのだから何かあったことに違いはない。胸騒ぎを覚えながら、工房に飛び込んだ。
「今剣、主さんが呼んでるよ!」
 兼さんと清光が黙々と手を動かしている。今剣は既に飽きていて、ぶらぶらと足を遊ばせているところだった。今剣はぴょんと跳ね起きて、僕のところまで駆けてくる。
「しゅつじんですか?」
「遠征みたいだよ、急いでいってあげて」
「わっかりましたー!」
 ぱたぱた走っていくのを見送れば、、二人とも何があったのかと目線だけで聞いてくる。
「こんのすけが来てて、函館の戦場で……何か、あったって」
 何か、に反応して兼さんがぴくりと眉間に皺を寄せた。
 函館。僕たちの前の主の、最後の戦場。そして僕たち刀剣男士が最も赴いた戦場でもある。
「出陣になるかもしれねえな」
 戦いたい、という覇気の溢れる声とは違った。清光は僕らを交互に見て、小さく頷く。函館の戦場で何かがあったのなら、僕たちが戦わない理由がないのだ。
「戦いたいよね……特にお前ら二人はさ」
 そうだね、と言うのに一瞬悩んだ。戦う理由はある。けれど、今函館を狙う理由がわからない。
「……ま、刀装作成がなくなったんなら、ちょっと身体動かさねえか」
「えーっ、俺はいいよ……」
「遠慮しないでよ、僕一人で兼さんの相手するの大変なんだ」
「安定にしろよぉ、俺を巻き込むなーっ」
 わあわあ騒ぐ清光を引きずって工房から出る。手合わせは、木刀があればどこでも出来るから良い。庭先を通りすがった安定も捕まえて、結局四人で打ち合いになった。清光は何だかんだ言いながら、付き合ってくれていた。

 打ち合いになってからしばらく経って、今剣と遠征に出ていた薬研がばたばたと廊下を走っていくのが見えた。粟田口の短刀の中では、皆の兄貴分をしているだけに落ち着きのない様子が気にかかる。
「何だ?」
 兼さんがぱっと清光から手を離す。清光は、薬研の背中を追いかけて声をかけた。どうやら、薬研は僕たちが見えていなかったみたいで、びっくり顔で振り返る。
「薬研! 何かあったのか?」
「今剣が中傷で身動きとれなくなっちまったんだ! 手入れ部屋まで運んでもらえるか?」
 手助けを呼びに走ってきたらしい。今剣は、遠征に行ったはずだ。いままで遠征部隊が怪我をして帰って来たことはない。僕たちは顔を見合わせ、とにかく怪我をした今剣を背負って手入れ部屋まで連れて行った。そのあとは主さんの部屋に急ぐ。何が起きているのか、知るために。
「今まで遠征で怪我なんて、ないよね?」
「ない!」
 清光は僕よりずっと早く本丸にいた。その清光ですら初めてというのであれば、これは異常な事態ということになる。
「何が起きてる?」
 混乱が起きている。冷静になろうとゆっくり息を吸って、吐く。主さんの部屋の前に出る廊下の曲がり角で、主さんと鉢合わせてたたらを踏む。
「主!」
 清光がわっと声を上げると、主さんはほっとした表情を見せた。普段は穏やかな笑みを浮かべている人であるから、その様子からして本当に想定外の事態が起こっていることはすぐにわかった。
「呼びに行こうと思っていたところなんです、入れ違いにならなくて良かった」
「何が起きてんだ?」
「大広間で待っていて下さい、すぐに状況を話します」
 頷き合って急ぎ広間へ向かう。僕たちが最後だったらしく、主さんが戻ってきてすぐに現状の説明がはじまった。
 こんのすけから函館の戦場への出陣要請があったこと。様子を見るために遠征に出た今剣が怪我をしたこと。遠征部隊の持ち帰って来た情報をまとめると、遡行軍が攻勢を仕掛けてきたのがわかった。函館の戦場、ここ一か所だけでも絶対に歴史を変えてやろうと言うつもりらしい。池田屋、京都市中、他の戦場を攻略している本丸は動けない。
「……ここ、相模国の本丸が対応にあたります」
 本丸に残った刀剣の数は、十七振り。遠征に出た部隊が怪我をして戻ってきたということは、苛烈な戦場であることはすぐにわかる。残りの戦力で太刀打ちできるかどうかもわからないが、やらなければならない。
 主さんは、すぐに残った戦力で複数部隊を編成にかかった。練度の高い男士らを第一部隊として、残りを援軍と控えに分け複数方面から攻略を目指すらしい。編成の後、すぐに出陣となる。
 刀装が残っていたのは幸いだった。僕らは自ら作った刀装を付け、戦場に出る前の緊張感を久しぶりに味わっている。
 僕と兼さん、清光、安定は残った十七振りの中では練度が高い。一軍として編成され、前線に出ることになった。
 こうならなければいいと言ったはずなのに、血が騒いでいる自分に気がつく。隣の兼さんも同じ顔をしている。
 僕たちは武器なのだ、と思うと膝の上に乗せた握り拳にも力が入った。


 函館の戦場。今までこの場所で見なかったような敵がうようよしている。敵も相当やる気だ。逆に言えば、今までこの戦場は、前の主の生きていた証は、そこまで重視されていなかったともとれる。
「今頃本気出すって時点でよお……」
 兼さんの声が尖っている。僕も同じ気持ちだった。
 そんな半端な覚悟で歴史を変えようとしたのかと思うと、僕たちの主の命が弄ばれたのかと思えば余計に、熱した鉄が体中を巡っているような感覚を覚えた。
 殺気がとどまるところを知らない。この感情の行方は、歴史をあるべき姿に戻す以外にない。例え、それで前の主が命を失おうともだ。
 やる気満々の清光と安定。戦力を見る限り、本丸側が不利なのは明らかだ。向こうは数で押すつもりらしい。
「あいつらの狙いは、土方歳三の生存」
「歴史の通りであれば、あの船は」
 開陽丸。そう、この船は沈んだはずなのだ。
 今、海に浮かんでいるということは、函館での戦以前から歴史修正が行われていることに他ならない。
 船があれば、戦況が変わっていたと言われていることは僕でも知っている。
 歴史の通りにすると言うのなら、まずはあの船が邪魔だ。その次に、僕達の前の主を生かそうとする歴史遡行軍の存在も排除しなくてはいけない。
 開陽丸の機能停止。重要人物の生存。
 歴史遡行軍の変える歴史にどんな意味があるのか、僕たちは知らない。ただ、己の命を、あの人が何に使うのかなんてとっくにわかりきっている。
「だが、それは俺たちの主の歩んだ道じゃねえ」
「都合よく利用されるなんて、まっぴらごめんだよ」
 僕と兼さんは、声の調子も似ていた。
 淡々としている。けれど、その中に篭もる熱は同じだ。死なせたいわけじゃない。けれど、都合よく捻じ曲げられた歴史の中に貫く義を、あの人が良しとするだろうか。
 互いを見る。碧い目。義に殉じた志士の血は、赤から碧へ変わる。僕たちの目が碧い理由を前の主に見るのは当然だ。
 ――するわけがない。
 そういう人だ。僕たちは、よく知っている。
「そこの二人!」
 清光が声を上げる。
「ここは俺たちが引き受けるから、先へ!」
 函館の戦場を駆け抜ける必要があった。長期戦に耐えうるほどの戦力はない。速攻で勝負を仕掛け、叩き潰す。作戦なんてない、一点突破だけが僕らに残された手段だった。
「兼さん!」
「おう、離れんじゃねえぞ国広!」
 各々が自身を手に、戦場を駆けていく。背後の清光が敵を食い止めるのが見えた。払う刃が風を切る音が聞こえた。
 感謝は、後だ。
 函館の戦場、最奥の地を目指す。
 見慣れた門の前。ここから発った主は、狙撃を受けて死ぬ。つまりこの門から先で狙撃を受けなければ、主は生きていたことになる。
 僕たちは狙撃部隊をその地に向かわせなくてはいけない。
 銃兵は厚が率いている。すでに配置についていて、あとはこの門を前の主が通り抜けるだけだ。
「……出やがったか」
 黒い影が、門前に浮かぶ。闇の気配。不穏の塊。歴史を修正し、捻じ曲げ、僕らの主を利用する存在がそこにいる。
 脇差と短刀。しかし短刀の雰囲気がいつもより輪をかけて禍々しい。
「兼さん、あの短刀……様子がおかしいよ」
「……柄がねえ、な」
 よく見れば短刀には柄がない。そこにいるのは、折れた刀の切っ先だ。その刃に見覚えがある。隣の兼さんを見る。全く同じそれである。
「てめえ……」
 冷静に、と叫ぶより先に、兼さんが飛び出していく。折れた刃、短刀であるそれはざわりと姿を変え、打刀としてこの場に顕現した。兼さんは自身を握り、打刀と撃ち合う。
 異常事態の元は、恐らくこれだ。
 何らかの形で、和泉守兼定、そして僕の目の前にいる脇差――恐らく堀川国広――が蜂起を起こしたのだろう。別の本丸から離反したのか、それとも元々はぐれた存在なのかはわからない。遡行軍側にも、主さんと同じように物に宿る魂を肉体に移せる存在がいないとも限らないのだから。
 目前の敵がゆらりと刃を構えた。向かい合う。
 あれが和泉守兼定の折れたかたちであるなら、これはきっと僕だ。
 ――歴史を守るために主さんの死を見届ける僕と、死なせまいとする僕は同一だろうか。
 疑問が頭を過る。その一瞬の鋤をつくように、真っ直ぐ突き出してきた切っ先を刃で反らせ、受ける。
 がちんと鍔と刃が打つかって火花が散るのが見えた。そのまま身体ごと押し、喉元へ斬りつける。
 風は切ったが、上体を逸らされた。
「……っ、」
 息をゆっくりと吐きながら、互いに半歩下がった。距離を取って睨み合う。
 仕掛け方も、避け方も、僕と同じだ。同じ脇差が肉体を経て、向かい合っていることになる。
 同じ刀。戦い方も同じなら、次は。
 とっさに刃を上に構える。空いた距離を詰めるように大股で一歩踏み込まれ、上段からの一撃が来たのは構えるのとほど同時だった。
 がく、と上体が崩れる。刃がそのまま振ってくるのを、転がって避けた。土に塗れるくらいは、気にならない。
「国広ッ」
 視界の端、打刀と対峙する兼さんが見える。両手で柄を握り、じりじりと距離を取るそれは、前の主の戦い方に似ていた。向かい合う敵は、すでに刃を取り落としかけている。あと一撃入れられればというところだ。
「僕は、大丈夫!」
 足元を薙ぎ、脇差が怯むのがわかった。均衡を崩したところで、喉元へ自身を突き立てた。
 刃が肉を切り裂く一瞬、光を失う寸前の脇差と目があった。未練が色濃く残り、何故と問いかけてくるその視線に僕は小さく首を振ることしか出来ない。
 もう眠ってもいい。もう歴史を変えようとしなくてもいい。
 主の命は、本当はとっくの昔に失われてしまっている。こうして何度も何度も同じことを繰り返すことこそが、間違いなのだ。
 だから何度でも正し続ける。もう終わったのだと、知らしめ続ける。
 倒れる脇差。殆ど同時に、背後でぱきんと何かが折れる音がした。振り返らなくてもわかる。同じ未練を持った短刀、いや打刀がその刃生を終わらせた音だ。
「……兼さん」
 振り返る。折れた打刀と脇差は、塵となって消えた。
「国広」
 兼さんが泣きだしそうな顔をしているから、その手を引いた。門前には馬に跨り、戦場を駆けようとする前の主の影が見えている。
 生きている。生きていた。
 あの人は、この場所で、戦っていた。
「……いこう、僕たちは……歴史を守れたんだ」
「ああ……ああ、そうだな、そうだ……」
 前の主が死ぬ姿を直接見せるのは、避けたかった。歴史が守られたのであれば主はここで死に、僕と兼さんの道はここで一度別れる。
 伏していた厚に合図を送る。小さな発煙筒だ。本来ならこの時代にない、僕たちだけが使える碧の光を灯す。
 合図を見てか、刀装から銃兵が現れた。僕たちはその場から背を向け、歩き出す。
「……主さんは、かっこよかったね」
「……俺たちだって、かっこよくて強かったろう?」
 乾いた銃声。歴史が元の通りに動き出す音だ。厚がそっと僕たちの後ろをついてくる。嫌な役を、やらせてしまった。
 兼さんの温度を忘れたくなくて、ぎゅっと手を握った。あの人の手のひらの温度はどうだったか、今は思い出せない。


 事後処理に三日かかり、やっと本丸解体の日を迎えた。
 大広間。最後の食事を終えて、ゆっくりと茶を啜っている。本丸はがらんとして静かで、池の鯉が作る波紋を見ながら思い出話に花を咲かせた。
 最後に残ったのは五人。近侍の歌仙さん。主さんが最初に呼んだという今剣。本丸の出来た最初期から二人を支えた山姥切。
 それに僕と、兼さん。
「清光と安定、最後までさっぱりしてたなあ」
「またすぐに会えるってずっと言ってたね」
 あの二人は、四日前に旅立った。どうせ帰る場所は同じなのだからきっとまた会える、と言っていたのだ。その目元が赤かったことも覚えているし、最後に交わした握手の感触もまだ覚えている。
「ぼくは、いわとおしにあいにいくんです!」
 今剣は、ご機嫌だった。戦は終わり、自身の役目である歴史を守るという仕事を果たした彼は、堂々としていた。眩しいくらいに。
「会えるといいね」
「よくありませんよ、ほりかわ!」
 今剣は、僕の手をぎゅっと握って怖い顔をする。
「あえないわけないでしょう? ぼくといわとおしですよ!」
 同じ役目をもった薙刀である彼と自分が会えない訳がないと、言う。その姿もまた、眩しい。何だか泣きそうなりながら、そうだねと頷いた。
 歌仙さんも、日本中に散らばってしまった友人たちに会いに行くのもいいと言っていた。そう、魂の形が僕たちになるのであれば、その本体や想いの宿るところへいけば、懐かしい友人たちにまた会える。
 兼さんはそれを聞いて、僕をじっと見つめた。
 還る場所がわからない僕は、また会えると約束が出来ない。
「国広、お前を迎えにいくからな」
「……うん、待ってるよ……ゆっくりきてね、しばらく休みたい」
 兼さんは呆れ返ってため息を付く。
「年寄りかよ」
「年寄りだよ? 兼さんよりはね」
 朗らかな空気。終わりを迎えてみれば、呆気ないものだ。
 刀剣男士の魂を還す儀式は、主さんの手で行われる。刀剣男士が眠っている間に、術が施された鋏でちょっと髪を切るだけなのだ。髪は肉体を模し、それを鋏で切ることは肉体から開放される魂を意味していると主さんが説明してくれた。
 清光と安定を見送った時、僕たちはその儀式を間近で見ていた。本当に、ほんの少し髪を切るだけでとろとろと眠ってしまうのだ。清光が最後に主さんをぎゅっと抱きしめたこと、安定が僕たちに手を振ったこと、思い出すと目頭が熱くなる。
 終わりを見届けるというのは、寂しい。
「さあ、始めますよ」
 主さんが鋏を持ってやってくる。僕たちはいつも使っている布団と枕を並べて、順番に寝転んだ。歌仙さんだけは別で、主さんの傍に控えている。解体に必要な最後の始末を手伝うのは、歌仙さんが必要なのだと言っていた。
 髪を解いて横になった今剣の頭を、主さんが優しく撫でて髪を梳いている。豊かな白い髪が布団にぱさりと落ちた。
「今剣、君は明るく無邪気で、落ち込んだときに何度も救われました。 ……ありがとう」
「あるじさま、おやくにたててうれしかったです!」
 今剣の髪を、主さんがちょんと切る。おやすみなさい、と一言残して、今剣は寝息を立て始めた。歌仙さんがその頭を撫でる。寝息はすぐに聞こえなくなり、途絶えた。
「堀川、最後に辛い思いをさせてしまいましたね」
 寝転がったまま話をするのは落ち着かなくて、上体を起こした。主さんとまっすぐに見つめ合う。
「いいえ、僕は……最後まで、やるべきことが出来ました」
「想いはきっと繋がります……そのときは、また」
「……はい、また」
 主さんが僕の前髪を切る。主さんの傍に控える歌仙さんと握手を交わし、山姥切に手を振った。兼さんに言う言葉は、ひとつだけだ。
「またね」
 横になったら、もう瞼も開けられない。身体が布団に沈んでいくような感覚を憶えながら、僕はゆっくりと息を吐く。僕の意識は、すぐに霧散した。


 またね、と言えるのがうれしかった。例えもう会えることはなくても。
 肉体から切り離された意識が、だんだん暗くなっていく。
 走馬灯のように思い出す。顕現した冬の日、僕を迎える兼さんの顔。初めて打ちあった指の痺れ。戦場の空気。仲間との再会。兄弟との出会い。
 字を読み書き出来るようになったことも、ご飯を食べる楽しさも、お酒はあんまり飲まなかったけれど宴会の空気はそこにいるだけで楽しかった。いいことばかりだった。悪いことと言えば、怪我をしたときと、二日酔いくらいだ。それも良い思い出として、忘れたくない。
 ついさっきまであった身体の感覚は遠くなって、身体の感覚は思い出せなくなってしまった。顕現する前は、ずっとこうだった。今考えれば、肉体という器を経て人間と同じように過ごした時間は、瞬きの一瞬のようなものだった。まるで、夢のような時間。花が開く一瞬、雨が落ちる波紋、日が沈む淡い色、雪華が体温に触れて溶けるより、ずっと早かった。
 終わっちゃった。
 そう言いたかったのだけど、震える喉もなければ、聞く耳もなかった。目をつぶったあとの、瞼の裏に広がる僅かな光だけがずっと続いているような感覚だ。
 あの本丸に呼ばれるより前からずっと、僕は、僕たちは、刀に宿る付喪神だった。
 刀に戻ったのなら、お役目が来るまでまた眠っていよう。時間の感覚もないからいつになるかわからない。
 またね、と別れた兼さんの表情は思い出せる。同じ碧。寂しげな顔だった。身体は大人であるのに、僕よりずっと表情が素直で、子供みたいだった。
 迎えにいくからな、と言ってくれた。
 ぼやけていた意識が、かちりと何かに嵌まった。元の場所に戻ったのだろう。僕が還ったこの場所は、一体どこなのか。
 主さんの言っていたことを思い出す。元の場所に還るとして、縁が途切れる以上どこに還ったかはわからなくなってしまうと言っていた。
 ここは京都か。それとも函館か。それよりずっと前か、後か、それもわからない。
 想いがつながれば、いつか。
 いつかは、いつだろう。僕にはわからない。何しろ刀には、付喪神には、時間の感覚がない。想いが繋ぐとしてもきっとまだ先のことだ。それまで眠っていよう。僕は、戦った。前の主のために、主さんのために、戦い続けた。隣に兼さんがいたから頑張れた。終わったのなら、休んでもいいだろう。何しろずっと戦いの中にいて、いつ歴史が変わるかという不安から開放された今は随分気楽なのだ。
 眠気に任せて、意識を閉じる。閉じかけてまどろむ意識の端を、誰かに引っ張られているような感覚があった。遠くからぼんやりと声も聞こえる。
 暗い意識の中で誰かに呼び掛けられた気がして、背中を向けた。
 やっと、終わったんだ。
 僕は頑張ったんだから、もうしばらく休んだっていいじゃないか。
 耳を塞ぐ。目を覆う。背中を向ける。休みたいんだ。疲れちゃった。前の主が死ぬところを何回も見るのは、僕自身を証明するために戦い続けるのは。
 ――くにひろ。
 うん、僕の名前は堀川国広。
 ――国広。
 僕、ここにいるよ。
 ――国広!
「うるさいなあ!」
 自分の声に驚いて、はっと目を開けた。淡い橙。風に揺られる緑。目前に立つ人影の、見慣れた赤。
 目の前に広がる景色に驚いて、息を飲む。
「あれ、僕……」
 ぐるりと回りを見る。石が、たくさん並んでいる。お墓だ。僕は墓石の影に座り込んでいる。
 瞬きをしても、景色が消えない。都合のいい夢なんかじゃない、僕は今、この場所にいる。
「国広」
 僕の前に、兼さんが立っていた。長い髪。碧い目。刀は無くて、服装も内番よりずっと軽い。
 もう一度、兼さんが僕の名前を読んだ。僕は何も言えないまま、兼さんを見上げている。
「挨拶しようと思ったら、お前がいたんだ」
 墓石に刻まれた名前は、前の主の名前である。
 主さんの言葉が頭をよぎる。想念が宿るに相応しいところへ、還る。人の想いがつながる場所へ。
 僕が還る場所は、ここだった。この人から繋がった想いが、縁が、僕をここに呼んでくれた。兼さんとまた、会わせてくれた。
「こんなところにいたんだな」
 兼さんの声は震えている。
「ゆっくりって、言ったのに」
 僕の声も震えている。立ち上がるのに手を借りた。手のひらの熱がわかる。自分の身体にもまた、血が通っている。
 生きている。ここにいる。僕たちはまた、会えた。
 実感に涙があふれて、兼さんの腕にすがりついた。泣き顔を見せるのは恥ずかしく、兼さんの手が背中を撫でた。
「……兼さんは、どうして……」
「俺とノサダは主から頼まれごとがあって……」
 本丸を解体したとはいえ、再び相模国の本丸は開かれる。再開までの間、歴史の経過を見守るために人間として外の世界を生きることになった、と説明をされた。
「本丸に帰らない遠征みたいなもんだな」
「なにそれ……って、じゃあ僕も一緒にやるの?」
 巻き込まれたのに気がついて、口元がほころんだ。そうだ、兼さんはこういう真面目なお仕事は、少し苦手だった。僕がついていてあげなきゃ、いけない。
「一緒に来てくれるだろ、何しろお前は俺の助手だもんな?」
 兼さんは悪戯っぽく笑う。もちろん、嫌ではなかった。
「闇討ちや暗殺なら僕も役に立つよ!」
「しねえ、しねえ」
 笑いながら、墓石をちらと見る。
 兼さんの視線の意図に気付いて、二人で手を合わせた。
 さわやかな風が僕たちの頬を撫でていく。しっかりやれ、と言われたような気がして、背筋が伸びた。
 前の主。池田屋でみた背中。あの時に考えたことを思い出す。歴史を守る僕も、あのひとの命を守るため、役目を果たすために戦った僕も、きっと同じだ。
 もちろん、この身に宿る熱も。
 しばらくの沈黙の後、殆ど同時に顔を上げて、ふっと兼さんの表情が和らいだ。
 僕の記憶に残った兼さんの顔は、少しだけ寂しさが残っていた。今は不安も、寂しさも感じない。ほっとさせてあげられたのかなと思うと、僕も嬉しい。胸の内がぽかぽかしてくるのだ。顔だって自然と笑ってしまう。
「行くぜ、国広!」
「うん、兼さん!」
 僕たちの前には、薄闇に染まる空が広がっていた。煌めく星々から、既にこの世から去ったあのひとが見てくれていることを感じながら二人揃って歩き出す。
 どちらともなく、手を繋いだ。柄を握る、あの体温を今でも憶えている。そしてこれからも、忘れることはきっとない。

 

 

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