六章 再び会えるとするならば
物事には、すべて終わりがある。日が昇れば沈み、雨はいつかやみ、花はいずれ散る。
人の命にも同じことが言える。産まれて生き、そして死ぬ。天に昇って女神様の手を経て再び生まれるとはいえ、生は一度切りなのだ。
終わりは始まりとも言う。沈んだ日は再び昇り、雨は再び巡り、花は種を残し再び芽吹く。僕たち人間だって、女神様の行う転生を経て再び世に生まれ落ちるのだ。
僕は、それから逃げた。
女神様の行う転生を拒み、訪れる死から逃げ、ゾンビになってまで生にしがみついた。忘れたくないことがあったから。言わなくてはいけないことがあったから、終わりたくなかった。
大事なことに気がつくのは、いつだって後からだ。僕は何も言えなかった。何も言えないまま、カラ松を食べてしまった。もはやかすみかかった記憶だ。
あれから九十九年が経った。死んだはずの魂を迎えに来た悪魔は、僕が神父を食い殺したことを知って百年様子を見ようと言っていた。
僕は、ただ一つカラ松のことだけを考えてそのほとんどを過ごした。最初は罪悪感だった。カラ松が好きで、一緒にいたいだけだったのに、まさか自分の手で命を奪うことになるなんて思わなかったのだ。そのうち、幼い頃の思い出ばかりを辿るようになった。朽ちていく教会の中で、僕はずっとカラ松のことを考え続けた。
その日々は、唐突に終わりを告げる。ずっと閉じられていた教会の扉が開いたのだ。
もうほとんど何も見えない目だったけれど、月の光を感じた。深い青のマントがひらひらと揺れていたのを覚えている。腰に佩いた剣が抜かれ、光を跳ね返してきらりと閃いた。
まばたきのうちに剣は空を切り、僕の視界は暗転した。
月光に照らされた顔が、カラ松に似ているように見えた。九十九年、一日たりとも忘れたことのない姿だ。風化されない思い出の愛おしさと、その生を奪った罪悪感が見せる幻想だったかもしれない。けれど、思うくらいは許されていたい。
悪魔と約束した百年はまだ迎えていなかった。なにより、迎えに来たのは悪魔ではなくカラ松に似た人間だったのだ。悪魔との約束より早く終わりが来たことになる。
僕に終わりをくれたあの人は一体誰だったのだろうか。
思う。思い出す。考える。考えることができる。瞼の裏に銀の甲冑を纏ったあの人の姿を思い描くこともできる。そう、ほとんど見えない目に残ったあの青が忘れられない。
――僕、あれからどうなってしまったんだろう?
恐る恐る目を開け、周りを見渡す。
目の前にふわふわと白いわたが漂っている。羊の毛よりずっとやわらかいそれは、くしゃりと形を変えて流れていった。こんこんと水の湧き出る泉に色とりどりの見たことのない花が咲き乱れる庭園。どこかから聞き覚えのある澄んだ音が聞こえてくる。賛美歌に似ているような気がする。
庭園から、ばさりと大きな翼が羽ばたく音が聞こえた。はっと顔を上げれば、大きな木の陰から僕をじっと見つめる目に気づく。
「……誰?」
僕が声を発すれば、その人はあっと声を上げて駆け寄ってくる。あまりの勢いに、僕は一瞬たじろいだ。何しろ知らない場所に、知らない人だ。驚かないわけがない。
「おはよう、目が覚めた気分はどう? ここ綺麗でしょ、噴水見に行く? それともすぐに神様に会いに行く?」
「えっ……だから誰? それに神様って……」
「神様に会う? じゃあ、こっち!」
男は僕にくるりと背を向け、特別大きな白い雲に向かって手を伸ばした。その背中には二枚の翼がある。その翼は、天の使いや女神様、遙か遠い天に住む神々の持つ翼によく似ていた。
「……ここは」
女神様や天使がいると伝わる天国。シャン・エミュ教会の廊下や、カラ松の教会で見たことがある。この場所は、その絵にとてもよく似ているようだった。
手のひらを見る。最後に見た、記憶にある僕の手とは全く違う。治らない擦り傷もなければ、爪は割れてもいない。
「天国……?」
地に手を突き、立ち上がる。自分の体を支えることができなくて、大きく体がふらついた。失ったはずの下半身も、ある。自分の意思で歩くなんて、何年ぶりのことだろう。
「歩けるよね、ついてきて」
天使は僕の体を支えるように手を貸してくれ、そのままゆっくりと歩き出した。背中にある大きな翼を見ながら、この翼で空を飛ぶことはできるのだろうかと考えた。僕には、わからなかった。
恐る恐る足を踏み出し、歩き出す。転んだらどうしようかと思ったけれど、どうやら体は覚えているらしくて、すぐに昔と同じように歩けるようになった。
庭園の中は見たことのないものばかりだった。そもそもアカツカは一年中寒く、色づく花なんて見ることは稀だったから余計に目が奪われる。
「珍しい?」
「初めて見るものばかりだよ……ねえ、ここって天国なの?」
「そうだよ!」
天使は僕が追いつくのを待って、それから一緒に歩き出した。歩く度に背中の翼がふわふわと動く。トビ、いやタカ、それともハヤブサだろうか。さえずる小鳥が持っているような翼と違うことだけは確かだ。
「この先にいるのは?」
「かみさまだけど?」
天使は笑ってそう答える。
「あっ、僕の名前はジュウシマツって言うの」
ジュウシマツ。口の中で呼べば、彼は再びやわらかく笑う。天使は人懐こい笑顔を持つのだな、と僕は思う。
庭園を抜け、虹色の噴水を通りすぎ、ジュウシマツは視線の先にあるのは真っ黒な机を指さした。
「神様、あそこにいるんだ」
机の上には紙の束がたくさん並んでいて、座っている人の顔は見えない。紙の束を避けて、大きな天秤が置いてある。
「神様……」
僕とカラ松の信じた、信仰を捧げた女神様がそこにいる。僕が教えを疑った神様と会おうとしている。緊張を紛らわそうと、小さく深呼吸をした。
「連れてきたよー、ゾンビ!」
「ああそう、ご苦労様……」
紙の束がごっそり机の上から動いて、その陰から顔を覗かせたのは、への字口でどこか神経質そうに見える男だった。
僕は天使へじっと視線を送る。天使は僕を見てくれない。
かみさま、と天使は言った。女神様と、かみさまは、同じものなのだろうか。それとも別なのだろうか。少なくとも、僕が今まで見てきた絵画の中にある女神様とは似ても似つかない姿だ。
「お前がトド松ね。俺はお前たちのいうところの女神様……つまり神ってものなんだけど、言っている意味はわかる?」
「……男性ですよね?」
「あー、それね。地上に降りるときは人間たちの望む姿に見えるから。神の姿を女に求める人がいたってことでしょ」
つまり、この神様が地上に降りたのを最初に見た人間が、神様というのは女性だと心のどこかで思っていたから女神として伝わったということだろうか。なんだか気が遠くなってきて、考えるのをやめた。カラ松が聞いたら卒倒するかもしれない。いや、もうしたのかもしれない。
「で、お前の話をするね」
神様は丸眼鏡をかけて、一度机の端に寄せた紙の束を手繰り寄せる。そこから一枚紙を引き抜いて、それを読み上げ始めた。
「両親を早くに亡くして孤児院に引き取られ神父の推薦で聖歌隊に入隊。ふーん……真面目だったんだね……火事の最中に石が当たったのが原因で死んでいるはずなんだけど、ゾンビになって神父の命を奪ったと」
神様は読み上げながら天秤の皿に白い羽を三枚乗せた。もう片方は空っぽだ。
「転生を拒絶し、人の命を奪った、ねえ……教えを疑うっていうのはよくあることだけど」
神様の持つ紙には僕の罪状が書いてあるらしい。悪魔にも償う必要のある罪は三つだろうと言われていた。
神の教えを疑ったこと。転生を拒んだこと。人の命を奪ったこと。
神様は黒い羽を三枚取り、空になっていた天秤の皿に載せた。天秤は黒に大きく傾く。
「そのまま地上に九十九年」
傾いた天秤に、更に羽が加えられていく。三枚が十枚になり、十が二十、三十と増えていく。天秤は黒い羽が載った皿に大きく傾き、白い羽が載った皿は居心地が悪そうに見えた。
神様の目がじっと僕を見ている。僕は何も言えないまま、その天秤を見つめていた。
「お前は地獄にいって罪の償いも出来ない。このまま無理やり転生させたって、お前の持つ因果が絡まって他の人間を巻き込む可能性が高いんだ」
丸眼鏡を外した神様はやれやれとばかりにため息をついた。自分で考えるよりずっと、僕は神様を悩ませる存在になってしまったらしい。
「地上に九十九年も放置された魂なんて俺も初めてだから、転生までのフローがいつもと違うんだよね……地獄で魂の浄化ができない以上、神様であるこの僕がフォローしてやらなきゃ」
悪魔が百年経ったらと言っていたから何らかの解決する手段があるんだと思っていたけれど、今思うに、あれは無計画な一言だったのかもしれない。
天使は僕と神様を交互に見て、小さく首を傾げた。どうするの、と言いたげな表情だ。神様は色々な紙を並べて難しい言葉をたくさん呟いている。
「あの……」
「何?」
「僕は、どうなるんですか……?」
神様は机に肘を突き、両手の指を組んで口元を隠した。沈黙が場を支配する。ごくり、と自分が唾を飲み込む音が聞こえるくらい静かだ。
罪の償いになるなら何でもする。けれど、何を言い渡されるのか、予想も出来ない。神様の言う償いなんて、人間の僕にできるのだろうか。それでも、僕の罪なのだから、僕が清算しなくてはならない。
「ちょっと、危なっかしい人間がいてね」
神様は僕の罪状が書かれている紙をくしゃりと丸めてくずかごに放り投げる。並べた紙のうち一つを僕に差し出し、にっこりと笑った。僕は慌ててそれを受け取る。
「その人間が死なないように見ていて欲しいんだ」
受け取った紙を覗き込んだ天使が、うわあと小さく呻く声が聞こえた。
「簡単だよ、すっごく簡単」
神様の目が笑っていない。全容がわからず、助けを求めてジュウシマツへ視線を送っても目をそらされてしまった。
どうも、厄介な用件であるらしい。僕は紙をぎゅっと握って、ただ立ち尽くしているだけだった。
「お前が保護する人間はかつてカラ松という名前だったけれど、今は違う。転生が済んでしまったからね」
当たり前のことなのだけれど、カラ松がもうカラ松ではなくなってしまったことに寂しさを覚えた。カラ松と僕の思い出を持っているのは、もう僕しかいないのだ。
「文字は読める?」
手渡された紙を広げる。
――カラ松、現在の生において名をトリスタン。母は彼を産んですぐ世を去り、父も病に倒れたために叔父に引き取られた。アカツカの北部地方を統治していた叔父に騎士として育てられ、忙しい日々を送っている。
トリスタン。カラ松、と呼ぶことが出来ないのは寂しいが、この名前に慣れなくては。
「次はこれ!」
「鏡? 顔なんか見てどうするわけ?」
「いいからいいから」
天使から手鏡を渡される。僕の顔が映っている。後ろから覗き込む天使の頭には光る輪がついているけれど、僕にはない。じっと見つめているうち、手鏡の表面が水面ののように揺れ始めた。そのままじっと見つめ続けていれば、鏡は僕の顔ではなくて、燃え盛る村が映し出す。
「知ってる場所?」
「知らない……」
見たことのない場所だ。僕の故郷よりずっと小さい村のように見える。火の不始末から起こったような、ただの火事という様子ではない。逃げ惑う人々の悲鳴が微かに聞こえるのだ。
野盗の仕業だろうか。鏡の中にくまなく目を配る。松明が揺れ、それを持つ人影を確かめれば、火をつけてまわっているのは天に昇る間際に見た銀の甲冑だった。
「これってカラ松……じゃなくて、トリスタンと同じ?」
「そうだね、中身はこの国の人間だけど」
思わず目を背ける。赤々と燃える火を見ていると、どうしても燃える教会を思い出してしまう。鏡は再び水面のように揺れ、燃え落ちて炭と灰になった村が映る。そこに残るアカツカの矢じりや剣たち。逃げ延びた村人たちが、アカツカの兵が襲ったと証言をしている場面。彼らの目は亡羊の嘆きに満ちている。
「……何のために?」
「戦争する理由が欲しいみたいだよ」
鏡は街を映し出す。何をしたわけでもない、民たちの暮らしを奪われて黙っていられるかという叫び。怒り。喧伝が広がり、アカツカへの攻撃的な言葉が溢れる。
「トリスタンが使者として隣国に向かうことになったんだけど、追い返されて君の教会に辿り着いたんだ」
天使がもう一枚、紙を差し出している。手鏡を返し、恐る恐るその紙を読み始めた。
――戦争の火種になりかねない事件が起こった。戦争を回避したい考えの叔父から、秘密裏に事件を調べるように言われたトリスタンは使者として隣国へ向かっていたのだが、あえなく追い返されてしまう。同時に、聖具の回収のために立ち寄った廃教会でゾンビに会い、回収した聖具を使ってゾンビの器を破壊、天へ返した。
「……これ、僕?」
天使はこくこくと何度も頷く。いつのまにか僕の背後に立っていた神様が眩しいくらいの笑顔で僕を見ている。どこか圧倒されるような笑顔だ。
「うん、君のこと。偶然、君のところにたどり着いたんだし、面倒みてやって」
「面倒をみるっていったって、僕が彼に何をしてやれるんですか……?」
「まあそのまま見ていて」
神様が手鏡に手をかざすと場所が変わる。青いマントがひらひらと風に揺れ、月光を跳ね返す剣が振り下ろされた。どさり、と何かが床に倒れる音がする。トリスタンは剣を鞘に戻し、それから教会の中に入っていく。
「君がいた教会は、九十九年間放置されていた」
カンテラの明かりが、廃教会の中でゆらゆらと揺れる。
「地下に何があったか覚えているかな」
「……絵が、ありました」
天国の絵。転生の絵。女神様に加護を授かる人間の絵。燃えたシャン・エミュ教会から一時的に保管されていた絵画があったはずだ。
神様はまた紙を取り出す。
「それがトリスタンの役に立つんだ」
僕にはよくわからない。けれど、それがトリスタンの役に立つなら、彼の助けをしてやりたい。
「君の役目はトリスタンの生命保護。彼が役割を果たすのを見届けることだ」
「見届けること」
神様は頷き、僕の背中をぽんと叩く。
「君は一時的に天使と同じ力が使えるようになっている。罪を償うためにがんばってね」
神様の手が触れた背中が、妙に熱い。熱は徐々に背中全体に広がり、僕の身体の内側からみしみしと音がしている。目の前がくらくらと歪む。熱い。あつい。思わず膝を突く。段々呼吸が浅くなっていく。は、は、と吐く息すら喉を焼く熱さだ。
「餞別ってやつさ、僕は神様だからね」
「あ、う……!」
ばり、と背中を破って何かが突き出る感触があった。服は大丈夫かなあなんて他人事のように考えてしまうのは、現実逃避だ。熱は徐々に引き、やっと呼吸も楽になった。
「うん、天使っぽい。いいね。讃美歌も歌えるし、ビジュアルはばっちり」
神様は満足そうだ。ゆっくりと立ちあがる。翼は思ったより重くてふらつく。そういえば、服もいつの間にかジュウシマツと似たようなそれに変わっていた。
「僕はここから見ているからね」
「……ありがとう、ございます」
神様にお礼を言うより早く、ジュウシマツが僕の手を引いて走り出していた。背中の翼が、ばさりと広がって重たい。
「下まで案内するね! 翼の使い方も教えてあげるから!」
ありがとう、と口を開きかけて、あまりの勢いに舌を噛みそうになった。お礼は後で伝えようと決めて、今はただ彼に手を引かれるまま走った。
ジュウシマツに手を引かれ、噴水の横を通り過ぎ、庭園の中にぽっかりと開いている穴の前にたどり着く。あんなに走ったのに、息ひとつ切れなかった。天使はいくら走っても疲れないのかもしれない。
「ここから飛び降りるよ!」
「使い方を教えてくれるんじゃないの?」
「使えばわかる!」
そんな無茶な! 叫ぶのと同時に、ジュウシマツに背を押されて穴の中に落ちていた。僕の悲鳴は穴の中に響き渡る。神様、と叫びかけて思い直す。きっとあの神様は、自分で何とかできるでしょうと何もしてくれない気がするのだ。
穴はどこまでも続いている。ふわふわとした白い壁を見るに、どうやら空に続く穴であるらしい。天国は空より遙か高いところにあるようだ。
「お、落ちる、落ちるってば!」
「大丈夫! ほら、手を広げてー!」
天使は人に何かを教えるのに向いていないと思う。最初から翼をもつ天使と、後から翼を与えられた僕では感覚が全く違うのだ。当たり前だけれど、当たり前すぎてそのことに天使が気付いていない。
とにかく、このまま落ちて行くわけにはいかない。両手を広げる。穴の中は真っ白で、何もない。風を受けると、背中の翼がばさりと広がった。
「風に乗ってー!」
「乗るって、どう……」
天使の言葉を噛み砕きながら落ち続けること数分、やっとコツを掴んで自在に飛ぶことが出来るようになった。この穴が空に続くこともジュウシマツに教えて貰った。うすうす気づいてはいたけれど、本当にそうだと聞くと空は特別なんだという気持ちになる。
「アカツカはねえ、君が知らない間に色々あったんだよ」
「いろいろ……」
飛びながら雑談も出来るようになった。風に任せて空を漂いながら、僕が廃教会の中にいた間に起こった変化について聞いている。
「まず、君が火事にあった教会――女神さまの加護があったって言われていたシャン・エミュ教会が燃やされたことから、加護を受けて安心しているだけじゃだめだって気づいたみたい。自ら守ろうって自警団が出来た……自警団っていうのは治安を守るための組織ね」
「騎士っていうのは、自警団?」
「うん、組織の偉い人って感じかなー?」
僕がゾンビになっている間に色々なことが変わったようだ。なるほど、トリスタンは騎士だから、国を守るために尽力しなければならないらしい。
地上が見えてきた。アカツカのほとんどは白に染まっている。雪の季節の只中なのだろう。そろそろ天使とはお別れだろうかと彼を見れば、じっと僕を見つめる目があった。
「ねえ、聞いてもいい?」
ジュウシマツの問いに小さく頷く。
「どうして君は、転生を拒んだの?」
「……好きな人に好きって言えなかったから」
言葉にしてみると随分陳腐で繊細な理由だ。僕にとっては、命をかけるほどの価値があったけれど。
「ゾンビになっても言えなかったのに?」
「言葉にするのは難しくて……でも、あきらめられない」
「好きという感情は、それくらい大事なもの?」
「僕、あいつにも見せてやりたいって思ったものがいっぱいあったんだ。一緒に見たら、もっと……綺麗だったんだろうなって。言わないまま、忘れたくなかった」
「……そっかあ!」
天使からすれば、人間が転生を拒む理由なんて想像出来ないのかもしれない。だから、聞いてみたかったんじゃないかと思った。
「もうすぐ地上につくよ。僕はここで帰らないといけないけど一つ良いことを教えてあげる」
天使はくるりと宙返りをし、一瞬のうちに鳥に姿を変えた。翼の大きなトビだ。目を丸くしているうちに、トビはひらりと方向を変えて飛んでゆく。
「空で宙返りすれば鳥に化けられるんだ! 君もいい感じに使ってね」
「いい感じにって……」
「トリスタンはまだ教会にいるよ! じゃ、頑張ってー!」
天使は、トビの姿のまま天高く飛び上がっていく。その姿に向かってありがとうと叫び、僕はそのまま地上へ向かって飛び続けた。
トリスタンはまだ、教会にいる。そこから、彼を見守る僕の役目が始まる。