五章 かつての教会、数多の星を数えて
目が覚めるのは、決まって夜だ。起きてからまずは目元を擦る。こうしないと周りがよく見えない。暗闇に慣れてしまって、今では月光すら眩しい。
窓から差す淡い光に、舞い上がった埃が反射してきらきらと光っている。
ぐるりと周囲を見渡す。かつては開かれていた扉は固く閉じ、楽廊は崩れ落ちてしまっている。暖炉を覆っていたレンガは割れ、壁には亀裂が走り、ただ朽ちていくのを待つ教会には蜘蛛の巣すらない。
足を失ってからは這って教会の中を動き回らないといけなくて、少し大変だ。
ぐるりと教会の中を見てから、祈りを捧げなくては、と思う。何に対してかはすでに忘れてしまった。祭壇に向かって両手の指を組み、目を瞑ってじっとしている。
何に祈っているのだろう。何を祈るのだろう。つぐない、をしなければいけない。償いとはなんだろう。わからない、わからないけど止めてはいけない。
黙っているだけなのに、息を吸うたびに喉の奥がひゅうひゅうと音を立てるのが少しうるさい。
目を開けたら、床に落ちている硝子の破片で床を引っ掻く。何のためにやっているか、わからない。床はそこら中傷だらけで、数えていると良い暇つぶしになる。一万の傷が三つの塊になっていて、今は千の塊が六つになったところだ。
床の傷を増やして、顔を上げる。
外に出たいな、と思う。自分の手で開けなくてはいけないのだけれど、僕の手は扉のノブに届かない。体当たりをしようにも、助走をつけられない。諦めきれず、扉と取っ組み合いをずっと続けていた。
片腕を使って扉まで這っていく。扉を見上げて佇み、それを揺らした。外側から閂でも差してあるのだろうか、びくともしない。それでも今日はやめちゃいけないと思って、がたん、がたんと扉を揺らし続ける。
揺れる扉の音に混ざって、かしゃん、かしゃん、と何か金属の塊が揺れる音がする。
耳を澄ませて、扉の前でじっとしていた。
かしゃん、かしゃん。音は近付いてくる。澄んだ金属の音だ。
何かが変わるのだ、と思った。
金属の音は教会の扉の前で止まり、扉の向こうがぎしぎし揺れる。ずっと開かずにいた扉が開く。
月の光を跳ね返す銀の甲冑、深い青のマントがばさりと風で揺れる。外は吹雪のようだ。外の扉が開けっ放しになっていて、中に小さな雪の粒がふわふわと降ってくる。雪を見たのはいつ以来だろう。白く、眩しい。
「……ここか、捨てられた教会は……」
低く、けれど柔らかな声。聞き覚えがある。僕は目が離せなくなった。人影はきょろきょろと中を見渡して、カンテラで中を照らす。眩しさに呻くと、カンテラの明かりが僕を照らし出した。
人影は僕を見下ろしたまま、じっとしている。その顔に見覚えがあった。
目を見開く。忘れるはずもない、僕がその命を奪ったカラ松の姿があった。あ、と小さく声が漏れる。
転生だ。カラ松は転生をしたんだ、と気がついて、継ぎ接ぎの記憶が浮かび上がってくる。かぼちゃのポタージュ。約束。地下倉庫の美術品。壊れた長椅子。割れた聖水。満たされたあの一瞬だけ、空腹を忘れたことも。
カラ松と同じ顔をしているが、転生をしたのだから僕のことは何も覚えていないだろう。僕が一方的に知っているだけだ。彼は何も知らない。僕がカラ松の命を奪ったことも。
奪った命は戻らない。けれど、また会えたことを、運命と思っても許されるだろうか。
カラ松は、僕を見て表情を固くしている。
「魔のものがこんなところに」
そういえば僕はゾンビだった。ゾンビという存在は知っているようだ。
「焼失した聖具があるらしいと聞いて来たのだが……」
地下倉庫。猫の持っていた美術品たち。思い出しはしたが、伝える術がない。僕の喉がひゅうひゅう鳴るばかりだ。
「転生も出来ずに……辛かったろう」
腰の剣をすらりと抜く。剣は月光を柔らかく跳ね返している。刃物というより、まるで氷のようなそれだった。
「今、その器を壊してやる」
言葉と共に刃が振り下ろされる。
痛みはなかった。ただ、やっと終わったという穏やかな感情だけがあった。