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【WEB再録】週末は本丸にいます。(15/08 発行)

 蝉が鳴いている。一匹や二匹などでなく、数え切れないほど多く。蝉時雨とはよく言ったもので、降り注ぐ声は確かに雨に似ていた。
 がばと身を起こせば、いつもと変わらぬ本丸の朝がある。蝉の声に交じって、庭に水を撒く音。ぱたぱたと廊下を走る音。
 隣の布団には、未だ穏やかな寝息がある。布団を蹴り飛ばし、浴衣の合わせが乱れに乱れているのは、かっこいいとは言えない気がする。
 既に部屋の中には夏の暑さがある。日当たりの良いこの部屋は気に入っているけれど、このところは蒸し暑くなって起きるか、蝉に起こされるかという朝が続いていた。
「兼さん、暑くなる前に起きよう」 
 隣で布団を蹴り飛ばしている兼さんを揺さぶる。寝息が途切れ、もぞもぞと背が丸くなる。
 兼さんともう一度呼べば、蹴飛ばしたはずの布団を手繰り寄せて頭から被ってしまった。
「窒息しても知らないよ」
 兼さんはどうも暑くなってからよく眠れていないらしい。朝に弱いだけでなく、目覚めがよくないように見える。秘かに、暑気払いにいいものはないかと審神者に相談してある。
 寝間着を脱ぎ、袖の短いシャツを手に取る。夏の間は各自過ごしやすい恰好をするようにと審神者が調達してくれたものだ。
 涼しい肌着も潤沢にあるという入念な気遣いに、恐らく審神者自身も暑さに弱いのだろうと噂されている。
 さらりとした生地は風を通すし、手首まで覆われていないだけで過ごしやすくなった。今では、これでないと日中の暑さが耐え難い。
 ボタンをかけてタイを結び終えた頃、やっと兼さんが布団の中から出てきた。相当暑かったらしく、汗で髪が額や首筋に張りついている。
「兼さん、おはよう」
「はよ、……」
 言いかけた兼さんのそれは、途中から欠伸に代わる。そのまま再び転がろうとするのを腕を引いて止め、首筋に絡んだ髪を解いていく。
 着替えるにも、この長い髪をまとめなくてはいけない。一人で着替えくらい出来ると知っているけれど、放っておくのが落ち着かない。決まって僕が先に手を出してしまう。そういう性分なのだろう。
「今日は麻のにしようよ」
「涼しけりゃなんでもいいさ」
 兼さんにも、夏を過ごすための服が贈られている。袴に合わせやすいように半着にしておいた、という気遣い付きだ。
 羽織りと同じ色の浅葱を選んで渡せば、口元が笑う。
「かっこよく決めねえとな」
 表に出してさえしまえば、兼さんの着替えは早い。その間に、僕は布団をひとつに積み重ねておく。昼前に干しておくと、夜はふかふかのそれで寝られるのだ。
「僕ら、今日は何かあったっけ?」
「出陣なし、内番なし、手合わせでもするかって具合だな」
 兼さんは手合わせがお気に入りだ。己の力で戦える、というのを喜んでいる人たちは多いけれど、特に喜んでいる方に入ると思う。戦うことが好きなのだ。
 刀であったとき、どう振るわれていたかを思い出す。何のために主の手の中へいたのか、その日々を。
 僕も戦うのは好きだ。昼であれば、夜であれば、僕自身をどう使えば役に立つのか。互いが活きるように戦場をどう動かすかを考えるのも、楽しい。
 手合わせでは一対一の駆け引きになる。互いをよく知っているからこそ、際どいところまで攻め込むことが出来る。兼さんは癖が強いから、戦場訓練のような手合せにはならないけれど。
 兼さんの支度が終わるのと同時に、腹の虫が鳴いた。気恥ずかしさに腹を撫でれば、同じように兼さんの腹からも鳴き声がした。
「まずは朝飯かねえ」
 食堂につくまで何度鳴くか、と互いを茶化しながら部屋を出た。蝉時雨はいつのまにか止んでいた。

 廊下へ出てみれば、何やら人だかりが出来ている。壁を見て首を傾げ、これは何だと互いの顔を見合わせる様子からして、何かが掲示されているのだろう。大規模な出陣や遠征があると、回覧として掲示されることがある。
「まーた遠征か」
 出陣ならまだしも、と兼さんは不満の色を隠さない。遠征は、行先でやることが戦のそれとはまったく異なる。人を助けることもあれば、戦に関わりのあるものを排除することもあり、幅広い対応が求められるのだ。
「でも、雰囲気が違うよ」
 遠征の掲示であれば、あんなに人が立ち留まって見ていることはない。同室の者が居ないとか、兄弟が出るとか、そういうのを確認する程度だ。
 それが、掲示を見て首を傾げたり、どこか楽しげであったりと普段と様子が違いすぎる。内容を確認しようと早足で向かえば、掲示を読んでいた鯰尾がこちらに気付いて手を振った。
「何が書いてあるの? 出陣、それとも遠征?」
「いいや、どっちでもない!」
 指さす先には、一枚の紙。柔らかな文字で書かれたそれの意味を理解するのに、しばらくかかった。
 ――我が部隊は厚樫山を攻略。次の時代遡行軍侵攻に備え、しばしの休暇とする。
 僕らの役目は、歴史の修正を目的とした遡行軍の侵攻を撃退し、あるべき歴史を守ることにある。
 歴史修正主義者、および時代遡行軍全体の数はわかっていない。一度侵攻された歴史から排除しても、戦力を補給し再度侵攻する頻度から見て、根絶することはほぼ不可能とされている。
 さらには、時代を遡れば遡るほど時代遡行軍は精強になった。改変後の歴史への影響が強いからだろう、と時の政府からは言われている。
 厚樫山は、僕たちが出陣出来る最も古い戦場だ。
 戦場は複雑で、苛烈だった。万全の状態で出陣しても数人が怪我をし、傷の具合によっては途中で引き返すことのほうが多かったくらいだ。
 一筋縄ではいかないと考えた審神者の出した策は、大規模な出陣だった。策と言えるような大したものではない。疲弊した遡行軍に補給の暇を与えず、複数の部隊が連続して出撃するという単純なものだ。
 この単純さが功を奏した。第一部隊が持ち帰った情報を、第二部隊が引き継ぐ。第二部隊が戻れば、さらに得た情報を基に第三部隊の再編成を行う。第四部隊の支度を、と始めた頃に敵本陣制圧の報せが届いた。
 それがおよそ一週間前の出来事になる。
 総員満身創痍、重傷者四名に中傷者が二名、無傷の者がほぼいない状態での作戦完了となった。
 出陣の後は重傷者の手当てに追われ、必要な鋼資材の調達に忙しく、ゆっくり休めるようになったのは三日ほど前からだ。
「休暇?」
 兼さんも掲示を見て、訝しげに目を細める。
「休んでる間に侵攻されたらどうすんだ」
「俺に聞かないでよ、今見たばっかりなんだから」
 鯰尾は頬を膨らませ、腕を組んでふいとそっぽを向く。審神者に聞かなければ、その真意はわからないだろう。
「あ、いたいた」
 立ち止まっていた僕らを見つけ、燭台切さんが駆け寄ってくる。
「堀川くんと和泉くん、主が呼んでる」
 顔を見合わせる。審神者に呼び出される時と言うのは、出陣や遠征の指示、隊長の任命、傷の手当という用事がある時くらいだ。今日呼び出されるような心当たりはない。ならば、この休暇についての話と考えるのが自然だ。
「偵察よろしく!」
「何かわかったらね」
 ひらひらと手を振る鯰尾に見送られ、揃って審神者の部屋へ向かい歩き出す。
 容赦なく照りつける日差しは地面へ降り注ぎ、熱気が昇る。朝顔が負けじと大きく広がっているのが目に鮮やかだ。ぬるい風が風鈴を揺らして、ちりんと音を立てた。
 暑さでじわりと汗をかく感覚には、未だ慣れない。額に浮かんだ汗を手のひらで拭って、隣を歩く兼さんを見上げる。
「暑いねえ」
 そう声をかければ、兼さんはうんざりしたように軽く頭を振る。高い位置で結った黒い髪が、豊に揺れた。
 暑そうで見ていられない、という歌仙さんに教わったらしい。馬の尾のように、左右にふわふわと揺れる。長い髪の奥に、白い項が見えると何故かどきりとした。普段見えない部分だからか、見てはいけないような気がする。
「蝉はなんでこんなに鳴くのかねえ」
 これを聞いてると段々ぼうっとしてくると言う兼さんの顔は苦虫をかみつぶしたようなそれだ。ただのぼせているだけじゃないかな、と思ったけど黙っておく。
「求愛行動だって聞いたよ」
「へえ……蝉が何言ってるかわかんなくて良かったな」
 蝉が何を言っているかわかったら、早朝は愛を誓う叫びで起こされるし、夕暮れ時の物悲しげなそれが切々たる愛の詩だったらきっと笑ってしまう。
 その状況を想像して、つい笑ってしまった。同じような想像をしたらしい兼さんも肩が震えている。
 絶妙の間で、近くからみーんと声が上がった。アツいねぇ、と互いに交わす言葉の意味が変わってしまい、また笑う。
 そうこうしている間に、審神者の部屋へたどり着いた。本丸の中央にある部屋は、この暑さなのにぴっちりと障子で締め切られている。蒸し風呂になっているのではないかと不安に思いながら、声をかけた。
「主さん、堀川です」
「はいはい、どうぞ」
 障子に手をかけ、開いた瞬間にひんやりとした空気が頬を撫でる。想像していた様子と違い、驚きながらも中へ入った。
「お茶、冷たいのでいいかな?」
 審神者は座布団を並べ、僕たちに座るよう促して小型の白い箱を開ける。冷蔵庫と言うんだったか、便利な道具があるものだ。恐らくひんやりとした空気も僕らの知らない技術で出来ているに違いない。
 他にも何人かと話をしたのだろう、床に置かれた盆には空のグラスが並んでいる。背の高いもの、低いもの、透明感があるもの、ないもの、色々だ。
 僕らには、薄い水色の背の高いものが並べられる。揃いのものらしく、梅の模様を見つけてつい口元が緩んだ。
 前の主が好きだった花だからか、梅を見つけるとついそれを選んでしまう。気に入っているならあげようかと言われたこともあるのだけど、自分の持ち物にするには上等で繊細すぎて、断ってしまった。
 審神者が好んで使う背の高い紫の切子が並んで、冷茶が注がれる。
「茶菓子もある、寛いでおくれ」
 丸い机の上に、茶と菓子が並んでいると戦場が遠くに感じる。兼さんはとっくに腰を落ち着けて、冷茶を一息で飲み干していた。
 僕も喉が渇いていたし、同じようにグラスを煽る。冷茶は思っていたよりずっと冷たく、喉の奥を落ちていく感触に身体の芯がぶるりと震えた。
「用件は?」
「もう見たと思うけれど、休暇について説明」
 審神者は、僕らの前に紙を二枚差し出す。
 それには時の政府からの通達を示す朱印が押され、しばらく出陣を控えることと、今までに歴史修正主義者の侵攻がなかった時代を調査するようにと書かれていた。
 今まで歴史侵攻のなかった時代へ向かうには、下調べがいる。
 僕たちが歴史を改変してしまわないように気を付ける点の調査や、補給や手当を行えるような場所探し、さらには時代遡行軍の手が加えられそうな出来事はないか様々なことを調べておかなくてはいけない。
 この下調べには、今別の審神者が当たっていると言う。
 戦場の情報が揃うまで僕らには出来ることがない。そこで出陣を控えるならと、まとまった休暇を取ることにしたのだと言う。
「いつが狙われているのか、わかってるんですか?」
「比較的若い時代だろうって見立てだね」
 くるりと丸めた年表を広げ、このあたりと丸をする。厚樫山より過去に侵攻するのではなく、現代に近い年代への侵攻を重視したのだろう。僕らに馴染みのある時代だ。京都、六月、と書かれた付箋紙を見て、どちらともなく言葉が漏れる。
「……池田屋」
 あくまで歴史は歴史だ。守らなければいけないとわかっている。けれど、前の主が関わるとなると心の持ちようが変わってしまう。函館の戦場を思い出して、膝の上で拳を作った。池田屋と言えば、僕らよりあの二人がどうなるかが気にかかる。
「遡行軍の動向がまだわからないから、今は忘れて」
「調査は手伝わなくてもいいのか?」
「私たちは厚樫山攻略で成果を出したから、休むのもお仕事のうち」
 ここの審神者は、どうも要領が良いというか、さぼり癖がある。なまけているわけではないのだが、必要以上に働くのは好きじゃないといった風だ。
「……また君たちには、厳しい戦場になる」
 函館みたいに、と続く言葉に身体を固くした。ふと視線を落とすと、兼さんも同じように膝の上に拳を作っている。
「この休暇で、精気を養って欲しい」
「……休めってんなら、休ましてもらうけどよ」
 僕も、と頷けば審神者は口元だけで笑った。伝わった、とほっとしているようにも見えた。
「それで、休暇の間に行きたいところはないか皆に聞いているんだ」
 体を休めるのに行きたい場所や、今までに訪れた歴史の中で気になるところはあるか、と言葉が続いた。僕らは、二人で顔を見合わせる。
「僕らがいっても、歴史は変わらないんですか?」
「そこは、私が上手いことやる」
 多少時間軸をずらしたり、次元をずらしたり、送る場所を変えてやれば歴史は変わらないと胸を張る。全く実感はないが、審神者が大丈夫と言うならそうなのだろう。
 どうしようと兼さんを見やれば、目を細めて唇を引き結んでいる。迷う考え事をしているときは、いつもこの顔だ。
 会津か京都、それとも多摩か。僕らが強く印象に残る土地と言えばこのあたりだ。そのどれか、と考えているのだろうか。兼さんは真っ直ぐ審神者を見ていて、その目から考えは読み取れない。
「どこかへ行かなきゃいけないのか?」
「いや、別に本丸に居ても構わない」
 この部屋にある涼しい仕組みや、審神者自身の力を使ってある程度過ごしやすいように調節をすることは出来ると胸を張る。今すぐやってくれていいのに。
 僕は、兼さんと同じがよかった。兄弟たちと共に過ごすのも、休暇としてはいいものだと思う。けれど、これからまた前の主に関わる戦場へ出る可能性があるなら、共に居たいと思った。
「ここでいい、どこにもいかねえ」
 兼さんの答えに、審神者は意外そうに瞬きを二度。それから、手帳にさらさらと何かを書き込んだ。
「堀川は?」
「あ、……僕は、兼さんと一緒に」
 意外に感じたのは、僕も同じだった。予想していた答えとは違うそれに、誤魔化すように再び茶を飲む。少し温くなってはいたが、僕の驚きを落ち着かせるには十分なくらいだった。
「本丸の留守はよろしく」
 他に残る人たちが決まってからまた連絡する、と話がまとまり、少しの無駄話をしてから審神者の部屋を出る。美味しい茶を買ったとか、お八つはこの棚に隠してあるとか、書庫に冷房をつけるつもりだとか。
 部屋を出た途端に、むっと熱された空気を肌に感じた。兼さんも同じで、睨むように庭を見つめている。
「よかったの?」
「何がだよ」
「前の主に会いたいんじゃないかって思ってた、僕」
「ないわけじゃねえけどよ」
 兼さんは、僕の目から逃げるように背中を向けて頭をかく。こうするときは、大体にして言葉にしづらいとか、照れくさいとか思っているときだ。
「……食堂、いこっか」
 朝食を食べ損ねたし、と付け足すと小さく腹の虫が鳴いた。一瞬振り返って、くすりと笑う。
「そうだな、腹減った」
 意気揚々と歩きはじめた背中を見る。理由を聞くのは野暮だとわかっていた。言いたかったら、言う人だ。
 それでも聞かずにいられなかったのは、僕が会いたかったからなのだろうか。
 考えてみる。けれど、降り注ぐ蝉時雨と空腹の虫に苛まれて、考えはまとまらなかった。


 審神者自身も休暇を取る、と聞いたのは休暇が始まる前夜のことだ。思えば彼も人の子である、どこかに帰る家があったとしておかしくはない。僕らは彼に呼ばれたから、ここが彼の家のようなものだと思い込んでいた。
 本丸に残り、留守を任される刀たちで集まって話し合いをした。集まった数は全体のおよそ三分の一だろうか。遠征や出陣で人が出払っている時と同じくらいだ。
 留守の間は、長く近侍を勤めている歌仙さんが指揮を執ると言う。戦闘の指揮と違い、畑の手入れや馬当番の割り振り、食堂の世話など雑事が中心となる。
 普段からやっていることの他に、簡易的な大掃除までやっておこう、という話も出た。兼さんが隣で何とも言えない苦い顔をしていて、笑いを堪えた。
 しかし、休暇は休暇である。当番に割り当てられない日を作らなければ、それは日常の本丸と何も変わらない。
 全員が平等になるよう何もない日を作り、僕らは初めての休暇へ突入した。
 さて僕らはといえば、休暇となる七日のうち最初の二日は休み、中二日と最後の一日を畑当番に割り振られた。
 当番の日の朝は蝉が鳴きだすより前に起きて、畑に向かう。まだ外は薄明るいくらいで、風も涼しく感じる。
「まだ日も昇ってねえのに……」
「昇ってからじゃ、暑いからいやだって言うじゃん」
 そりゃそうだけど、と言いながらとびきりの欠伸をする兼さんには水桶と柄杓を持たせる。この状態で葉の剪定なんかさせたら大惨事だ。
「トマトは水少なめでね!」
 応、と返事をしながらお水をたっぷりやっているそれはトマトの苗である。僕は一瞬だけ頭を抱えた。やってしまった以上はしょうがない、とすぐに立ち直った。
 僕は収穫と共に、葉の剪定に入る。これは毎週やると決まっていることの一つだ。
 つるをある程度の長さに切ってやったり、余計な葉を取ってやったりと結構手がかかる。
「お前は伸びすぎだね」
 つるをどんどん伸ばしていこうとしているそれの先をチョンと切る。葉についた虫を払ってやれば世話は十分だ。手をかけた分だけ実を大きくしてくれたり、甘味が増したりと中々のお返しをしてくれるのが段々かわいく見えて来て、最近は畑当番が待ち遠しい。
 本丸の畑は、一日で収穫できるほどに育つようになっている。科学の力とかなんとか聞いたけれど、仕組みを知ったところで収穫が楽になるわけでもなし、僕らはただ恩恵に預かるだけだ。
「国広、きゅうりがでけえ!」
「熟れすぎちゃったねー」
 水をやり終わって目が覚めたらしい兼さんが収穫に混ざる。背の高いきゅうりの収穫を任せたら、瓜のようになったきゅうりが出てきた。
「どれくらいとりゃいいんだ?」
 くるりと畑を見回す。休暇の間は畑で獲れる量も少なくしておくと言われたような気がするが、いつもと変わらないように見えた。
「とれるだけとっちゃおう」
 それぞれがとって一つの籠にまとめていく。ナスはとったしとうもろこしももいだ、さて残りはと畑を見回すと、にがうりの前で兼さんが腕組みをして立ちすくんでいた。
 横に並ぶ。兼さんは眉間に皺を寄せ、じっとにがうりを睨みつけている。
「……にがうり」
「……にがうりもとろうよ」
 苦味を美味しく感じる人もいるらしいが、僕らはいまいち得意じゃない。渋い顏をしながら収穫し、粛々と籠に積んだところで顔を見合わせて笑った。
「十分じゃないかな、日も昇ってきたし終わろっか」
「おー、帰るか」
 籠を抱えて、畑から引き上げる。これを食堂の厨房まで届けて畑当番は終わりだ。
 畑の世話をしている間に、すっかり日が昇ってしまった。本丸も徐々に目覚めはじめているだろう。空の青は、これからの暑さを予感させる。じわじわと鳴きはじめた蝉の声を背に、裏門を通って本丸へ戻った。
 厨房へ向かうのに庭を横切る。そこを通るついでに、水を撒いておく。
 庭の草木の面倒は粟田口の子たちが担当だ。けれど、この休暇は揃って出かけている。彼らの前の主に縁のある土地を巡るのだと言っていた。
 弟たちに手を引かれる一期一振さんが、参ったと言いながらも笑顔だったのを覚えている。
 弟たちに遠慮したらしい脇差二人と鳴狐さんは留守番だが、今日は洗濯当番でこちらまで手が回らない。
 庭に備え付けられた桶と柄杓を手に、背を伸ばした向日葵に水をやる。既に僕より背が高い。
 短刀の子たちは、この花を見上げて立派に育てられたと胸を張っていた。大輪の花が日を向いて立っている姿は、確かに立派だ。休暇で留守の間に萎びてしまわないよう気を配ってやらなくては。
「国広はまめだよなぁ……」
「僕はお仕事嫌いじゃないからね」
「……ちょっと雑だけど」
 ふと自分の水撒きの跡を振り返れば、たっぷりかかっているところもあれば、乾いた土の部分もある。苦笑を返せば、兼さんが空の柄杓を僕の水桶に突っ込んだ。
「相棒の補佐ってのも仕事だあな」
 乾いた土の部分にだけ水を遣って、庭の世話はおしまいだ。
「お、冷茶」
 縁側に誰が用意したのか、丸盆が一つある。見覚えのある薄青のグラスが二つに、氷を浮かべた冷茶が入っている。
 水を遣ってる間に誰かが置いたのだろうか。ここに来た時にはなかったはずだ。
「気が利くやつがいるじゃねーか」
 兼さんは、至極当然のようにグラスに手を伸ばす。慌てて腕を引き、それを止めた。
「誰のかわからないのに、駄目だよ」
「二つ並べて置いていくか?」
「……待ち合わせしているとか?」
 しかし、周りに人の気配はない。
 この時間から動き始めているとしたら、何らかの当番に割り当てられている人たちだ。例えば洗濯に向かっている鯰尾くんと骨喰くんの二人や、食堂の当番に当たっている歌仙さんあたりになる。
 冷茶に浮かんだ氷が溶けて、ぱちぱちと音がしている。
「之定あたりが置いてから厨房いったとか」
「そうかなあ」
 喉が乾いていないわけじゃない。誰かが用意してくれたものなら在り難いのだけど、人のものに勝手に手を付けるのは気が進まない。
「何してるんだい、君たち」
 通りすがったらしい歌仙さんが、僕らを見て不思議そうな顔をしている。兼さんは汗をかきはじめたグラスを持ち、くるりと回す。
「飲んでいいかねえって話を」
「飲めばいいじゃないか?」
 ほら、と言いたげに兼さんはグラスを揺らす。氷がぶつかって、からんと音を立てた。
「ほら、国広」
「あ、ありがと」
 渡されたグラスは指先に触れた瞬間から冷たく、心地良い。おそるおそる口を付けて少し傾ければ、小さくなった氷の粒が喉を滑り落ちて行く。
「ああ、収穫終わっていたんだね」
 縁側に置いていた籠に気付いた歌仙さんが拾い、抱える。今日使う分には十分、と太鼓判を貰ってほっとする。
「和泉、午前は空けておくれ」
「……手合せか何か?」
 歌仙さんは何とも言えない表情を浮かべている。兼さん、多分そうじゃないよと言いかけて口を噤んだ。
「これまでの戦績を洗い出しておこうと思ってね、新しい戦場にはこういう情報がものを言う」
 歌仙さんも、審神者から新たな歴史侵攻について聞いているのだろう。休暇とはいえ出来ることをやろうとしている。
 戦場の情報がない以上出陣は出来ない。ただ、僕たちの情報をまとめておけば、新たな情報を受けてからの編成は早くなる。
「和泉、君もこういうことが出来るようになっておいたほうが良いよ、戦場で役に立つ」
 隊長なら隊員の情報くらい管理出来ておかなくては、とまで言われたら黙っていられない。何も言わないまでも、今すぐやると言った様子だ。
 兼さんは、歌仙さんのこういう物言いに弱い。同じ兼定だからか、扱うのがうまいのだ。
「僕は鯰尾くんと骨喰くんのお手伝いでも行こうかな」
 せっかくのお休みなのだし、歌仙さんとから学ぶいい機会だと思う。僕がお邪魔するのも違う気がする。
 厨房にいく歌仙さんと共に、グラスを片付けに行く兼さんを見送って裏庭に回ることにする。
 洗濯を干すのは日当たりのよい裏庭だ。そこでは同じ脇差の二人が、大量の洗濯物と戦っているはずだ。

 裏庭に、所せましと洗濯物が舞っている。
 骨喰くんは小さいのを黙々と干し、布団の敷き布なんかの大物を鯰尾くんが広げている。未だ籠に山になったそれがすぐに終わる気配はなく、ごく自然に手伝いに加わっていた。
「二人だと広げられて楽!」
「皺取るのが難しいよねー、大きいのは」
 端を持って広げ、皺を伸ばしてから竿にかける。熱気でぬるまった風が通って、白い布をはたはたと揺らしていく。
「ところで堀川さ、俺気になることがあって」
 とりわけ大きな敷き布を干し終わって、額に垂れた汗を拭った鯰尾くんが切り出す。
「仲間たちが方々に出かけたろ」
 大物はさっきので最後だ。骨喰くんの小物が少し残っているのに、二人で手を出している。単純な干す作業をしながらなら、話くらいは聞ける。
「何かさぁ、妙な感じがしないか?」
 妙、と言いながらも口調は楽しげだ。何か企んでいるようにも聞こえて、僕は首を傾げる。
 籠に残った最後の一つは、小さな靴下だ。今は留守にしている彼らの兄弟のものだろう。
「妙って?」
「俺たち以外に、別の気配がするっていうか」
 怪談みたいだよな、と肩を竦めて怖がる素振りをする。
 夏になってから、兄弟たちの間で誰が一番怖い話を出来るか競っていたことを思い出して、つい笑う。
「いつもよりずっと静かだから妙なだけだよ」
「そうかなあー」
 洗濯物が風に泳いている。空を見上げれば、眩い日差し。この様子ならすぐに乾いてしまうだろう。僕らの雑談も、なんとなくそこで途切れた。

 日が沈む頃には、蝉と鈴虫の声が混じる。日暮れの頃に鳴くからひぐらしと言うのだろうか、あの蝉の鳴き声はとりわけ物悲しく聞こえて、どこか切ない。
 兼さんは一日歌仙さんの書庫の手伝いをしたらしく、ぐったりと畳に横になっている。髪が乱れるのも、服が乱れるのもお構いなしだ。
「どうだった?」
「どうもなにも、まだ半分も終わっちゃいねえ」
 明日もだな、と頭だけ傾けて僕に文句を言い、ごろりと寝返りを打つ。
 艶々とした黒髪の、丸い頭。今日だけで、それにどれほどの知恵が増えたのだろう。頼もしいという気持ちと同時に、何だか思いっきり褒めてあげたいような気持ちが湧いて、つい手を伸ばしてしまった。
「おい国広ぉ……子供じゃねーんだぞ」
「いやぁ、次の出陣では頼りにさせてもらおうと思って」
 前の主の面影を追っているわけでなく、兼さんがそうしたいからしている。戦いに対して貪欲なのを見ると、僕らがどういうものであったか思い出させてくれる。
「使えなきゃ意味がねえ、実戦でな」
 付け焼き刃じゃ駄目だ、と僕の手を払って起き上がる。胡坐をかき、じっと畳を睨みつける目は鋭い。
 知恵を机上だけで終わらせないためには、実践しかない。出陣がいつになるかわからない今は、すぐに実践できないから歯がゆいのだろう。
「……明日は僕も行こうかな?」
「之定の話、長ぇぞ」
 口が乗ってる時の長曽祢さんより長い、と渋い顔で言う。それは相当だだと苦笑で返しはすれど、すでに行こうと決めてしまった。
 僕は兼さんの相棒で助手なのだ。兼さんの考えがわかったほうが、戦場ではずっとよく動ける。
「お勉強ってやつだね」
 僕は兼さんに背を向け、小物箱から一つの瓶を取り出す。瓶の中には、真っ赤なフィルムに包まれた飴玉が入っている。
 その中から三つ取り出し、二つを兼さんの手の平に落とした。残った一つは僕の分だ。
「頭を使ったあとは甘いものって聞いたことあるんだ」
 飴玉と認識した瞬間、兼さんの顏がぱっと喜色めく。それから、じわじわと目尻が赤く染まった。
「どうかした?」
「あ、いや……ありがとよ」
 フィルムから飴玉を出して口の中へ。僕も同じようににフィルムをむいて、口の中に放る。赤い飴玉は、舌の先で転がすと口の中いっぱいに甘ったるさが広がった。
「明日もがんばろ」
 溶けた飴が欠け、舌先に引っかかる。ざらりと撫でられる感覚が煩わしくて、奥歯で噛んで砕いた。甘い欠片がじゃらりと口の中に散る。
 兼さんは俯きながら飴玉を転がしている。頬が少し膨らむだけで、いつもより幼い印象に変わるから不思議だ。
「……国広はよ、なんで俺にそこまでしてくれるんだ?」
 ふと湧いた疑問なのだろう、ぽつりと呟かれた一言に僕は目を丸くする。兼さんは飴玉を転がしながら僕の返事をじっと待っている。
 理由を、考えたことはなかった。付き合いからとか、前の主が同じだからとか、それらしい言葉にすることは出来る。でも、その言葉で表してしまうことには違和感があった。
「僕、兼さんのこと好きだからね」
 言葉でまとめられない。何となく、そうしたい気がして、そういうものの塊を好意と呼ぶ気がした。
 兼さんはつんと拗ねたように背中を向ける。答えをどう受け取ったのかは、わからない。ひぐらしの鳴き声は止み、鈴虫だけがころころと囁いていた。


 ぱたぱたと誰かが廊下を駆けていく音で目が覚める。足音は、審神者の部屋の方へ向かったように聞こえた。
 何かあったのかもしれない。寝ぼけた目を擦って起き上がる。備え付けの時計を見れば、起きる予定よりずと早い時間だ。まだ日も昇っていない。
 渡り廊下は長く、足音が通り過ぎてすぐなら後ろ姿くらいは見えるはずだ。その姿を確かめようと、急いで障子を開ける。
「……あれ」
 渡り廊下の先には、誰の姿もない。
 おかしい、審神者の部屋へ向かう足音は確かに聞こえたのに。きょろきょろと周りを見渡せば、こちらに向かってくる歌仙さんが見えた。
 寝間着の乱れを直す。歌仙さんも、寝間着の上に羽織だけかけたような、くだけた恰好だ。
「堀川くん、和泉もそこにいるかい」
「ええ、まだ寝ていますけれど」
 部屋を振り返る。兼さんは何事もなかった、と言うようにぐっすり眠っている。あと一時間もしないうちに起こすことになるから、今はまだ寝かせてやりたい。
「……そうか、夜中に書庫にいったりした?」
「いいえ、僕らそろって朝まで眠ってしまうので」
 畑当番で早起きなのはわかっていたから、いつもより早くに休んだくらいだ。
 それに、書庫はこの部屋から最も離れた西の離れにある。ちょっと見に行こう、と行けるような距離じゃない。
 歌仙さんは腕組みして、難しい顔をしている。何か入り組んだことを考えているときの兼さんの顔と、何となく似ている気がした。
「今日は堀川くんも手伝ってくれるかい? 書庫が大惨事なんだよ」
 僕は曖昧に返事をして首をかしげる。大惨事、というのは一体どんな状態なのだろう。
 まさか窓があいていて、夜の間に虫が忍びこんだとか、それとも灯篭が倒れて本が焦げてしまったとか、そういうものなのだろうか。
 畑当番と水遣りを済ませ、朝食を頂いたその足で書庫へ向かう。
 西の離れは、昼前までは十分涼しい場所だ。耳に馴染んだ蝉の鳴き声も、どこか遠くに聞こえる。
 歌仙さんに声をかけられたらしい鶯丸さんが、書庫の前で立ちすくんでいる。中を覗いては何とも言えない苦い顔をし、意を決したように入っていくのを見て兼さんと顔を見合わせた。
「……入る前から、嫌ぁな予感するわ」
「はは、あー、何だろうね……」
 恐る恐る、書庫の中を覗き込む。調度中で作業を始めたらしい歌仙さんと目があって、ちょこんと頭を下げた。
「ご覧の有様だよ、酷いものだろう?」
 書庫にある本ほとんどが床に落ちて散らばっている。破かれたり、踏まれたりしてはいないようだった。
「これ誰が?」
 鯰尾くんも呼ばれたのか、僕の横からひょっこりと顏を出して目を丸くしている。半歩後ろの骨喰くんに、こういう怪談を誰か話していたような、と考え込むあたり、昨日の妙な感じをまだ引きずっているらしい。
「わからないんだ、動物が忍び込んだわけでもないし」
 寝床を探す猫に箪笥の中身を掘り出されるくらいなら、本丸の中ではよくあることだ。けれど、動物がしたことなら本が汚れたり、破れたりといった被害が出るはずだ。
 落ちた本を拾う。床にぶつかった跡があるくらいで、汚れや破損は見られない。
「これくらい本が落とされたら音もするのに、誰も気が付かなかったっていうのも変ですね」
 僕らの部屋は遠いけれど、脇差二人の部屋は西側だし、歌仙さんの部屋もこの近くだ。断続的に本が床に落とされる音がすれば、誰かしら目を覚ましただろう。
 言葉を交わしながら、本を拾っていく。元々の並びはあるだろうが、とにかく棚に戻すことから始めたほうが良さそうだ。
「ほら、何か妙だろ?」
 鯰尾くんはどこか楽しげに僕に耳打ちをする。休暇中の非日常にはしゃいでいるらしい。
 審神者は留守、仲間たちも多くない。一大事があったとして、僕らだけで対応できるかどうかを考えると、僕は少し気が重い。
「鯰尾くんは、何か妙なことあった?」
 両腕に本を抱えた鯰尾くんが首を傾げる。その抱えた本を骨喰くんがぎゅうぎゅうと棚に詰めていく。
「洗濯終わって、部屋に帰ったら冷茶があった!」
 美味しかった、と無邪気に付け足されるあたり、妙と言いながらもしっかり頂いたらしい。
「てっきり堀川からだと思っていた」
「僕じゃないけど……」
 この場に居なくても、本丸に残っている人はいる。当番に割り当てられていない限りは、誰が何をするのも自由だ。互いに見張りあっているわけでもないし、誰がやったかはわからない。
「僕は今朝、足音を聞いたんだよね」
「……誰かいた?」
「居なかった」
 鯰尾くんの口元がにんまりと笑う。
「夏って感じ!」
 兄弟がご機嫌で何より、と骨喰くんはあまり妙なことについては気にしてない様子だ。
 この本丸で、刀が人の身体を得て生活している以上に不思議なことはないのかもしれないが、本丸の主である審神者が居ない今というのが問題だ。
 書庫には、今までの歴史改変侵攻について詳細が書かれた戦績がある。僕らがどう進軍し、遡行軍を討ち取ったかまでが詳細に書かれたものだ。
 それがもし、歴史修正主義者の手に渡ってしまったらと考えると不味い予感しかしない。探して荒らしたように見えないよう、全ての本を叩き落としたのかもしれないしと考えると不安は尽きない。
 僕らが黙々と本をしまう間に、歌仙さんと兼さん、鶯丸さんが犯人探しの算段を始めていた。
 書物から得た知識として、犯人は現場に戻ると言われている。数人で見張りを立て、書庫で夜を明かし様子を見るのが良いだろうと決まった。
「騒ぎを大きくしたくない、まずは僕らだけで動こう」
 審神者が居ない、本丸の主力も欠けている、この状態で戦闘が絡むことがあれば厄介だ。偵察や牽制で済めば、奇妙なこともあったものだと言う小話で済む。
 その場にいる全員が揃って小さく頷き、その晩の見張りについて予定を立てた。


 満月には少し足りない、けれど煌々と明るい月が空に浮かんで、淡く庭を照らしている。
 月明かりを頼りに、西の離れに続く廊下を行く。時刻は丑三つ、草木も眠る真夜中だ。
 書庫の扉を背に、骨喰くんが空を見上げている。視線の先をおって見るけれど、空にあるのは月と星だけだ。
「骨喰くん、交代だよ」
「……異変なし、よろしく」
 書庫の前に座り込んでいた骨喰くんに手を貸して起こし、任せての言葉の代わりに背を叩いて送り出す。
 入れ替わって、今度は僕が書庫の扉を背に座り込む。
 鈴を転がしたような音が、庭に響いている。虫が鳴いているのはわかるけれど、名前と音が一致するのは鈴虫くらいだ。
 見張りの間は、灯りがつけられない。書庫という場所に火を持ちこんで、いざ何かあったら燃え広がる危険があるからだ。
 幸い、僕は夜目が利く。僅かな明かりでも、違和感に気付くことが出来るはずだ。
 扉を背に、無視の声だけを聞いていると、本丸で起こった妙なことについて考えてしまう。
 まず、妙なことが起こったのは本丸の主である審神者が居なくなってからだ。誰が用意したのかわからない茶の用意、棚から落とされた本、誰のものかわからない足音。
 侵入者だろうか。今まで、本丸に余所者が入った話しは聞いたことがない。審神者以外の人間は居ないし、恐らく彼の力で侵入出来ないようになっているはずだ。
 本丸に残っている誰かがやったことだろうか。茶の用意であれば誰かがやるかもわからないが、朝方の足音と、この書庫の本を落とすのにどんな意味があるのか全くわからない。悪戯にしても、何だか地味だ。
 僕ら以外に本丸にいるのは、鍛刀を手伝う式、刀装に宿る兵くらいだ。持ち場である鍛冶場、宿る先である刀装から離れて歩くにしても随分距離がある。
 審神者とよく話しをしているあの狐は、あくまで時の政府との連絡係だ。本丸の内部に関わることに手を出すことはしないし、ましてこんないたずらもしないだろう。
「あー……全然駄目、わからないや」
 まずは、今日何もなければいい。
 書庫には誰も来る気配がない。犯人は現場に戻ると言うのなら、既にこの本丸に犯人はいないのかもしれない。
 遠く、川のあたりに光が交差している。飛び交う蛍たちだ。その光を目で追い、空に浮かぶ星へ自然と目が移っていた。
 ぼんやりと星を数える。
 死んだ人は星になるというおとぎ話があると言う。そうしたら、本丸から見える星々は、僕らの主たちのそれなのだろうか。小さいけれど強く輝くもの、大きく淡く光るもの、その無数の光がそれだとしたら。
 立てた膝に、顔を埋める。瞼の奥にまで星の光がうつって、直接見ていないのに瞬きだけでちかちかと眩しい。
 夜にしか会えないけれど、昔よりずっと遠いけれど、そこに在るというだけで十分な気がする。
「堀川、交代だ」
 声に気付いて、はっと顔を上げる。俯いている間に一瞬意識が飛んだらしく、交代の時間になっていた。
 空は白みかけている。ここから朝までは、鶯丸さんが書庫の見張りに立つ。太刀は夜目が利かないから、朝方を担当してもらうことにしたのだ。
 手を借りて立ちあがる。ずっと座っていたからか、身体の節々が縮こまっている気がしてうんと伸びをした。
 ふと気になって、鶯丸さんを見上げる。妙なことを体験していやしないかと思ったのだ。
「鶯丸さんのところでは、何か妙なことありました?」
「まあ、茶器が表に出ていたくらいだな」
 割れたり欠けたりしていないし、盗むほど価値があるものでもない。しまう手間が増えたくらいで大したことはなかった、と言って腕組みをする。
「こういう悪戯をするのは、おおよそ構ってほしいようなやつだが」
 鶯丸さんは、どこか遠くへ視線を投げる。その言葉の先に、心当たりのある人物がいるのだろう。
「大包平にはしないように言わないとな」
 好意を示すにしては乱暴すぎる。そう言って月を見上げる目は柔らかく、優しい。
 直接会ったことはない。けれど、何度か彼の口から聞いている名前だ。休暇で本丸に残ったのも、多分いつ来ても迎えられるようにという配慮だろう。
「付き合わせて悪かったな、和泉に朝方来るよう言っておいてくれ」
 兼さんは見張りの総仕上げとして、歌仙さんと朝一番に書庫の中を確認する手筈になっている。ひらひらと手を振って、早く帰るよう促される。頭を下げ、早足に自室へと向かいながら、少しだけ休暇を過ごす兄弟が恋しくなった。

 兼さんを起こさないよう、なるべく静かに自室に戻る。音を立てないように障子を明け、滑り込むように中へ。
  聞こえていた寝息がふと途切れ、僕の気配にうっすらと目を覚まし、むっくりと起き上がる。
「起こしちゃった?」
「……起きるつもりだった」
 寝ぼけ声が帰ってくる。見張りの仕上げには随分早いし、支度を始めるにしても余裕がありすぎる。着替え終わってゆっくりするとしても、ゆっくりする時間の方が長いくらいだ。
 兼さんは、枕元の小箱から小さな瓶を取り出す。青いフィルムに包まれた飴の入ったものだ。何をしたいのか掴みかねて、僕はじっとそれを見つめている。
 ん、と差し出されたのは飴玉の包みだ。二つが手のひらに転がされる。それから僕の頭をぐりぐりと撫でて、ご苦労といって布団へ戻っていく。
 わざわざ起きた用事はこれかとわかった瞬間、頬が熱くなる。昼間僕がやったのと同じだ。
 手のひらにある飴玉が照れくさくて、わざわざ起きて労ってくれたことが嬉しくて、早速フィルムをむいて口の中に放った。つんと辛いような、すっきりするような、不思議な味がした。
 舌先で飴玉を転がしながら、既に寝息をたてはじめた兼さんの布団をかけ直す。穏やかな寝顔を見ていると、じわじわ込み上げてくる熱があった。本当に飴玉を渡すために起きたんだと思えば、可愛くも見える。
 胸の内に、あたたかな何かがある。このあたたかなそれを、人は好きだとか、快いと言うらしい。
 兼さんも、僕と同じあたたかな気持ちなのだろうか。
 兼さんは今、眠っている。触れて熱を確かめるくらいなら起こしはしないだろう。
 ざらついてきた飴を、奥歯で噛み砕く。清涼な香のそれだけれど、僕の中の熱は下がらないままだ。
 手を伸ばす。ぐっすり眠っていて全く起きる様子がない。布団から出た手のひらに触れようとしたら、もぞもぞと布団の中に消えてしまった。肌寒くなったのかもしれない。寝初めは暑くて蹴っ飛ばすのに、夜のうちに寒くなって手繰り寄せる。毎晩そうだ。
 布団から出ている、頬に手を伸ばす。あと少しで触れることが出来てしまう。その温度を知ってしまう。
 同じ温度でなければそれは、と言う考えに気付いた瞬間、指先が冷えた。心臓がうるさく鳴っている。
 この感情に振り回されるのを、見たことがある気がする。知っている気がする。そわつくような、ふわふわした気持ちを、それに伴う感情を人は何と呼んでいるか。
「……考えすぎかな」
 口に出したのは、自分に言い聞かせるためだ。まだ、それには気付いてはいけない気がした。知ればきっと迷ってしまう。知らなければ、このままでいられる。
 手をひっこめて、寝間着を手に取る。虫の声は、いつの間にか止んでいた。
「……まだ寝てていいって」
「気になるから行くんだよ」
 兼さんが起きるのに合わせて、一緒に書庫に向かう。この妙な出来事が気になって、とても寝ていられなかったというのが本音だ。
 西の通路を早足に歩く。書庫に近づけば近づくほど、本丸が静かになっていく気がする。
「兼さん、こっちの角だよ」
 通路を一本間違えかけた兼さんの裾を引っ張って、本来の通路に戻す。
 本丸の中でも、書庫は訪れる人が少ない場所に分類される。僕はたまに足を伸ばすけれど、兼さんはあんまり近づかない。
「書庫なんて用がねえからな、審神者以外は」
 書庫にある本の半分が僕らの戦績をまとめたもので、残りの半分は審神者の用意したものだ。
 元々、戦場に出ることのなかった彼にとって、書物は頼れる師だったのだろう。日中のほとんどをこの書庫で過ごし、本を読みふけっていた。
「おや、堀川くん」
 書庫の扉に寄りかかるようにして、歌仙さんが立って待っていた。僕はちょこんと頭を下げて、兼さんの横に並ぶ。
「誰も、何もなかったという報告を受けているんだ」
 見張っている間に来た人は居ないし、書庫の中で物音もしなかった。僕の前に見張りをしていた骨喰くんもそう言っていた。
「開けてみて何もなけりゃ、もう一眠り出来る」
 兼さんは欠伸を噛み殺しながら書庫の扉を開ける。御用改めである、と小声で呟けば歌仙さんがちらとこちらを見た。つい口をついただけだから、許してほしい。
 書庫の中を覗き込む。扉を開けた兼さんも、同じく覗き込んだ歌仙さんも呆気にとられた。
 今日は昨日より多くの本が落とされていた。座卓の上に積んだ本まで崩れ去っている。
 僕らは代わる代わるここで見張っていたし、何の物音もしなかった。人の気配もなければ、動物の忍び込んだ物音もない。
「超常現象?」
「僕らがそれ言うとねえ……」
 刀が人間の身体を得て生活している以上、本が落ちているくらいではと思わないでもない。そもそも、本が落ちていることにどんな意味があるというのか。
 そもそも建付けが悪いのかもしれない、と別のことに理由を求めて黙々と本を拾い始める。落ちたままでは棚に何かを取り付けることも出来ない。
 見張りに入ってくれていた脇差の二人や、鶯丸さんも書庫を覗きに来た。何もなかったのに妙だと首を捻りながら、今日も本を棚に押し込める。
 外でじわじわと蝉が鳴き、書庫の中が蒸し暑くなってきた頃にやっと本をしまい終える。朝から昼まで続けての作業に、全員が汗だくだ。
「お茶にしようか」
 妙なことが続いた気持ちを解そうとしてか、歌仙さんが柔らかく笑う。考えるのは後にして、まずは休憩だ。
 茶室は、書庫から審神者の部屋へ向かう途中にある。三条の人たちがゆるりとくつろいでいたり、歌仙さんや鶯丸さんが茶を楽しんでいたりする。たまにお招きされた兼さんが足を痺れさせているのもここだ。
「審神者の選んだ茶がね、中々美味しいんだ」
 からりと障子を開ける。中に入ろうとした歌仙さんの足が、ぴたと止まった。
「先客ですか?」
 茶室の中を覗き込む。中には、ついさっきまでここでお茶を楽しむ誰かがいたような茶室の風景があった。
「今日は、皆当番で居ねえよな」
 昨日干した洗濯物をしまうのに、本丸に残った全員が駆り出されている。蔵での作業だから、今この付近には誰もいないはずなのだ。
「……昨日もあったな、これ」
 氷がからんと音を立てる。グラスは、昨日も見た覚えのあるものだ。薄い水色に、梅の模様。主さんの部屋にあったあのグラス。
 ふと、鶯丸さんの昨日の言葉が頭をよぎった。
 ――こういう悪戯をするのは、おおよそ構ってほしいようなやつだが。
 グラスを手のひらに乗せる。日を透かすように持ち上げ、ゆるく揺すると溶けた氷がぱきんと鳴った。
「君の主さんは、今休暇でいないよ」
 鶯丸さんが、茶室の座布団に腰を下ろす。背の低い透明なグラスをじっと見つめ、柔らかく手のひらに乗せた。
 刀に宿る僕らが意志を持っているのだから、他の道具だって意志を持っていてもおかしくはない。僕らのように姿形が人と同じそれでないから、審神者は何も告げなかったのだ。
「彼らも使ってほしいんだと思う」
 今まで毎日のように使われていたのに、突然放っておかれる。不安だっただろうと思うと、妙なことと思っていたのが悪いくらいだ。
「ああ、なるほどね」
 鯰尾くんがしずしずと座布団に正座をし、背の高い黒のグラスを煽った。習って、骨喰くんも隣に並んで冷茶をちびりと舐めるように飲む。
「……それじゃ、今日はちょっと豪勢なお茶にしようか」
 台所の道具が暴れたら洒落にならないからねえ、と歌仙さんが笑う。
 僕は兼さんに、対になっているグラスを渡す。薄青、浅黄、梅。手のひらで包むように受け取って、側面を撫でる指先は優しい。
「こいつらも主が恋しいよな」
「彼らの主さんが戻ってくるまで、お世話になろ」
 かちん、とグラスをぶつけ、一息に飲み干す。小さくなった喉の粒が、僕らの喉を潤してくれた。


 ひぐらしが鳴きはじめれば、もうすぐ夕暮れだ。
 歌仙さんの豪勢な茶会が終わってから、書庫の方々で審神者が戻るのは今週末だと囁いた。これで、明日は書庫から本が落ちていることもないはずだ。
 たっぷり使われて満足したのか、勝手に出ていた冷茶も姿を消した。美味い茶が出ている分には構わないのに、と鶯丸さんはのんびり言っていたけれど、彼らも彼らで休暇と言うことだろう。
 この騒動を審神者に話すかどうかは、歌仙さんにお任せした。まさか本丸のほとんどの道具に付喪神が宿っていて、主たる審神者を慕うあまり騒ぎを起こしたと言っても信じてもらえるかどうか怪しい。
 さて、僕らは完全なる休暇を迎えた。当番の割り当てもなく、お手伝いの予定もない。やることがないというのは退屈で僕は苦手だけれど、兼さんがのびのびしているからそれを眺めることにした。
 ぼんやりとうちわを仰いでいた兼さんが、うちわを放ってぱったりと畳に倒れる。それから、うーとか、あーとか、何とも間抜けな声を出して畳にうつ伏せになった。
「兼さん?」
 暑いのがつらいなら扇いであげようかとうちわを拾い上げたところで、がばと腕をついて上体が起き上がる。あまりに急で、驚いた拍子にうちわを取り落としてしまった。
「早く戦いてえなあ……」
 呟いて、また畳に突っ伏す。退屈なのは、兼さんも同じだったらしい。
 こんなんじゃ身体も鈍っちまう、という兼さんの態度は、使ってくれと茶の準備までしていた彼らに似ている。
「やる気満々だね」
「だってよ、俺たちもそういう道具だろ」
 刀は、主の魂の一部を継いでいる。僕たちは特に色濃く。戦う。主の歴史を守るためにだ。
「国広、手合せだ」
 身体を動かさずにいられなくなったのか、兼さんが跳ね起きて障子をたんと開ける。ひぐらしの鳴き声が一瞬止んだ。どうやら近くで鳴いていたらしい。
「付き合ってくれるだろ?」
 ちらとこちらを見る顏は、どこか悪戯っぽく子供めいている。前の主に似ている、と思う。そして純粋に刀として、戦の場に出られる喜びを帯びて。
「そりゃあ、もちろん」
 立ちあがって、膝を払う。僕だって同じだ。戦いの場が遠いことが、こんなに歯がゆいなんて思わなかった。
「僕、兼さんのこと好きだからね」
 兼さんは満足げに頷いてからくるりと背を向け、道場へ歩き出した。
 その背中を見ながら、相棒で助手だから、といつものように答えなかったのは何故か考えていた。
 僕はただ、兼さんと一緒にいたいだけだ。人の身体になる前からずっと、共に居たいと思っている。戦場で共に戦い、共に帰ってくることを望んでいる。
 それだけで良かったはずなのに、いつもと違う自分がいる。共に戦うだけじゃない、と考える僕がいる。
 それじゃあ僕は一体何を望んでいると言うのだろう。
 自らに尋ねても、疑問しか帰って来ない。答えを出すことを諦めて、兼さんの後を追った。これからもずっと、同じ戦場に立つのだ。答えはその中で見つければいい。
 日が沈んでいく。近くから、遠くから、響くひぐらしの鳴き声が僕の耳に物悲しく残った。


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