イルカになる夢、眠る氷の夢、これは夢だったのか?
ノベルティ カラ松の見た夢の話
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こんな夢を見た。
大海原にぽつんと浮かんだ船に一人で立ちすくんでいる。俺一人取り残されてしまったような気がしている。もしかしたら、さっきまでここに誰かがいて、置いて行かれたのかもしれない。
船がちゃぷちゃぷと音を立てる。木造の船は昔話に出てくるような見た目で、波が来るたびにゆらゆらと揺れ、とても立っていられない。船の尾のように取り付けられた櫂に縋り付いて、ようやく周りを見渡すことが出来た。
一面の青だ。陸は、影も形も見えない。置いて行かれてしまった、という寂しさだけが募っていて、なぜここにいるかわからない。
とにかく陸に向かおう。このままここにいても仕方がない。思い切って櫂を手に取るものの、波の力が強いのか全く漕ぐことが出来ない。波に流されるばかりなのだ。
「フッ……」
困った。困り果てた。いつも身に着けているサングラスを付けて空を見上げてみたけれど、にっちもさっちもいかない。いっそ泳ぐのはどうだろう。いやいや現実的じゃない、陸も見えないのに海に入るなんて自殺行為だ。サメなんて出てきたらどうするんだ。
腕組して考え事をしていると、海がしんと凪いでいることに気が付いた。波もおとなしくなったらしい。海流が変わったのだろうか。
周囲を見渡す。櫂を手に立ち上がった瞬間、小舟の近くに背びれが迫っていることに気が付いた。
「さっ……サメ?」
さっと血の気が引く。櫂を握る手が震えた。サメの中でも人間を襲う種類は限られていると知っていても、背びれから種類なんてわかるわけがない。ここから離れなくては。焦って櫂に飛びつくものの、櫂は相変わらず重たくて動かせない。トド松みたいにジムに通っていれば違っただろうか。背びれは気付けば四頭分になっている。囲まれてしまった。
――ダメだ終わった! 手が震えた瞬間、海面につぶらな瞳が覗いた。
「……イルカ?」
キュウキュウと鳴き声が忙しない。びっくりして船にへたり込んでしまう。どうやら四頭のイルカは遊びに誘っているつもりらしい。
「すまないキュート・ドルフィンたち……俺には陸という舞台があるから共にいくことは出来ないんだ」
語りかけてみる。イルカたちはそれぞれキョトンとした顔で聞いていたのだが、俺の声を聞くやいなやじゃれるように船に体当たりをしてきた。遊んでいるつもりらしい。船は激しく揺れる。しがみつくのだけれど、さすがに四頭分ともなるとどうにもならない。
「ど……ドルフィンたち、ストッ……!」
どん、と一際大きい衝撃と共に、身体は海に投げ出されてしまった。
息が出来ない、水面に上がらなければと手を伸ばした先に、ざらりとしたものに触れた。反射的にそれを掴んだら、ぐいと引っ張られる。一瞬上がった海面で大きく息を吸った。さっきのイルカに乗せられているようだ。
イルカたちはぐんぐん海を進んでいく。景色が飛ぶように過ぎていく。一緒に泳いでいるような気さえする。そう、俺もまるでイルカになったような。
「お前は元からイルカだったじゃん、何言ってんの?」
「……そうだっけ」
「そうだよ!」
「そう言われればそうかもしれない」
ざぶん、と潜ってみる。体がぐんぐんと伸びるような感覚覚え、気づけばイルカたちと泳ぎ始めていた。
大海原を行く。戯れながら海を行けば、小舟が浮かんでいるのを見つけた。
小舟には一人の人間がいて、投網を持ったまま海を睨み付けている。ぎらぎらと光る目は怒っているような、泣きそうな顔だ。
放っておけない、と思った。そんな顔をしているお前を一人にしてはいけないのだ。
「なあ、お前も一緒に遊ばないか」
「遊ばない。僕はカラ松兄さんを捕まえなきゃ」
それは俺だ、と言おうとしたところでどうやって人間に戻ったらいいのか、
わからないことに気付いた。
他のイルカたちはつまらないと文句
を言いながらこの場を離れていった。
俺はずっと、その投網が自分に投げられるのを待った。待ち続けた。トド松はずっと、投網を手放さなかった。
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こんな夢を見た。
寒々しい雪山を登っている。風邪をひいた兄弟に与えるのは俺のとってきた清らかな雪解け水でなくてはならないからだ。
低い山で手に入るようなただの雪解け水ではだめだ。それでは俺の誠意は伝わらない。難所から持って帰ってこそ意味があるのだ。兄弟のためならそんなことは苦ではないと証明することに意味がある。そして俺はスマートに持ち帰ることが出来る。なぜなら兄弟たちを愛しているからだ。
薄着なのだが、不思議と寒くはない。むしろ過ごしやすいくらいだ。水を持って帰るために持ってきた空のペットボトルを五つ引きずり、どんどんと雪山を登っていく。さくさくと雪が音を立てるのが心地よくもある。
さて、雪解け水というのはどうやって手に入るものなのだろう。雪を持って帰って融かすのだろうか。それとも雪が融けた端から流れる河でもあるのだろうか。ゴツゴツと音を立てながら着いてくるペットボトルたちをどうどうと宥めながら周囲を見渡せば、巨大な氷が横たわっていた。山にもたれかかっているようにも見える。
「オー……これは、ビッグ・アイスだな」
『……なに? 勝手に変な名前つけないでよ……』
氷は身体をキシキシ言わせながら文句を言った。なるほど、高名な雪山の氷は意志を持つこともあるのか。この世は全く不思議に満ちている。
「ビッグ・アイス、俺は雪解け水を探して居るんだ。どこで取れるか知らないか?」
『ちょっと、聞こえてないの? 僕に名前つけないでよ、名前をつけたら責任を持たなきゃいけないの知らないくせに』
大きな氷は不機嫌に身体を震わせる。その度に周囲の大木がまるでおもちゃのようにぼろぼろと斜面を滑って落ちていくのだ。氷を見上げすぎて首が痛くなってきた。何しろビッグ・アイスは本当に巨大なのだ。
『雪解け水探してんの? しょうがないな、僕の蛇口捻って持って行きなよ』
「ビッグ・アイス……お前はなんてナイスガイなんだ……ナイス・アイスか? スが重なっていまいちな気がするが……」
『勝手に僕の名前を変えていかないでよ、水いるの? いらないの?」
もちろんいる、と返事をして見上げる。大きな氷が、山ごとぶるるっと震えた。ついでに地面も揺れた。山の斜面にあった雪がばさばさと落ちていく。粉砂糖みたいだった。
ビッグ・アイスからつららが降りてきて、その先に蛇口がついている。うちのトイレについている手洗いみたいな蛇口だ。とにかくそれを捻れば雪解け水が手に入るらしい。
ペットボトルの口を開け、管につけて蛇口のハンドルを回す。ボトルごしに手のひらが凍ってしまいそうなくらい冷たい水だ。ぶるぶる、と小刻みにビッグ・アイスがまた震えた。
『雪解け水をあげると、僕は段々小さくなるんだ』
「……あまり変わったように見えないが」
続ければ分かるよ、と言ったきり、ビッグ・アイスは黙り込んでしまった。分けてくれるというのだから、俺はそれを受け取るべきなのだろう。ハンドルを捻り続ける。ペットボトルにはどんどん水が貯まっていく。
ペットボトルを一つ満たし、三つ満たし、五つ満たせばビッグ・アイスはスモール・アイスに変わっていた。さっきまで見上げていたのに、今はもうつららしか残っていない。
『ビッグ・アイスじゃなくなった、って思ってる?』
俺の手のひらに乗ったつららが震える。俺は手のひらのそれに向かって小さく頷いた。
『大丈夫。お前が僕にビッグ・アイスって名前をつけたんだから、そのうちまた大きくなるよ。ほら、水持って帰りな』
蛇口がポトンと雪の上に落ちる。水がいっぱいになったペットボトルは、俺の兄弟たちへの愛、そしてビッグ・アイスだったものでずいぶん重い。
『その代わりさ、また来てよ』
つららは足下に落ちて、そして小さく寝息を立てている。眠っているのだ。
「……お前が大きくなったらまた来るよ、それまで暫しの別れだな」
ペットボトルを引きずりながら山を降りる。俺の耳にはいつまでも、小さな氷の寝息が聞こえていた。
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こんな夢を見た。
眼下に寝こける兄弟たちが見える。
風邪を引くぞ、十四松。どこから猫を引っ張ってきたんだ一松。チョロ松はおそ松を下敷きにするのはやめてやれ。トド松、布団にいって寝ろ。
声を出そうとするのだがどうも声が出ない。ならば二階から布団を持ってこようと思うのだが、体も自由に動かない。おかしい、と思ってじっと視線を漂わせれば、眠っているトド松の横で俺自身も眠っているのが見えた。
なるほど、これが幽体離脱というものか。酔っ払って眠ると出来るものなのか、それともこれが夢なのかはわからない。何しろ俺は天井に浮いているだけなのだ。ついでに言えば、両手や両足の感覚もない。目だけがあると言えばいいのだろうか、何にせよおかしい気分だ。
電気は消えている。テレビはジャンピングウォーターストーンの誕生秘話が流れている。深夜の通販番組だ。
――この石を投げると多少スッキリする、さあ君も――
「うるさ……」
トド松が顔を上げ、テレビの電源を落とした。部屋の中は眠っている兄弟たちのいびきで満たされる。それはそれでうるさいと思ったのか、トド松は小さく舌を打った。悪い顔をしている。そうしているとおそ松そっくりだぞ、と伝えてやりたかったけれど、俺の身体はトド松の隣で眠っている。
「なんでカラ松兄さんは僕に寄り掛かって寝てるわけ……邪魔なんだけど」
寄りかかる俺に対して顔をしかめるが、どかすことはしない。瞼が重たげだ。拗ねたようにとがらせた唇がつんと上を向いている。俺はと言えばわずかに開いた口から何かシャイニーなものが垂れているように見えるがきっと気のせいだ。俺には何も見えない。
じっと俺の顔を見たトド松は、どうやら俺のだらしなく開いた口に気付いたらしい。にんまりと笑ってスマートフォンをそっと拾い、その後は小さくシャッター音が鳴る。撮らないでくれそういう情けない姿は、と声を上げたいのだが、如何せん今は幽体らしき身である。何も出来ない。
「ふふっ、カラ松兄さんだらしな……ウケる……」
どうやらまだ酔いが廻っているらしい。ひとしきり写真を撮ったあと、満足したのか俺の口元を適当に布巾で拭ったり、顎を上に押し上げてみたりと遊んでいる。人の身体で遊ばないで欲しい。
「ニートでも身体はぽかぽかしてて気持ちいいんだよねえー……邪魔だけど、邪魔……ああもう、十四松兄さんがおそ松兄さんを布団にしようとしてる」
変なの、おかしいよね、僕もひとりで喋ってて変だけど、とぽそぽそとトド松が呟いている。トド松が足を伸ばした瞬間、がくりと俺の頭が落ちた。思い切りトド松の肩に頭を乗せた形になる。ああ、俺。俺の身体よ。というか今身体を離れている俺よ。今すぐ戻ってトド松の話し相手になってやらなければ。だって今あいつは誰かと話したいんだ。たぶん、きっと、さみしいのだ。
「なんで僕が退屈なのに起きないの兄さん、こういうときにちゃんとしてよね……」
ほら、やっぱりそうだ。今すぐ起きなくちゃ。俺の身体が目覚めれば、こうして幽体離脱をしている俺も元に戻るのかもしれない。
「おとぎ話なら王子様のキスで目覚めるのかもしれないけどさあ」
トド松は、まるでいつもそうしているようにあっさりと眠っている俺に顔を近づけ、唇を重ねた。場違いなほどにかわいらしいリップ音と、兄弟たちのやかましいいびきがミックスされて、ただ見ているだけの俺にはかなりのサプライズだった。
「ダメだよねー……カラ松兄さんはカラ松兄さんだもん、無理あったか……兄さん、カラ松兄さん、起きて!」
がくん、と視界が揺れる。トド松が眠っている俺の身体を揺さぶったからだ。やはり身体が起きると元に戻るものらしい。目が覚めるのはいいが、気になることが一つある。
俺はトド松からのそれを、忘れてしまうのだろうか。再びがくん、と視界が揺れた。目覚めは近い。なんで俺に、どんな理由があって、ああでも忘れてしまうのか、考えているうちに俺の意識はぷつりと途切れた。