海で何かを捕まえようとする夢

 小さな船の上で、イルカが跳ね上がるのを待っている。
 海に来たのは何年ぶりだろう。ゆらゆらと光を跳ね返す海面を見ているうちに、海ってこんな感じだっただろうか、とぼんやり考えた。
 何となく、反射する光が嘘っぽく見えるのだ。海というより、濁った釣り堀のような、冬の間放置されたプールのような、いやハーブ湯のようにも見えてくる。
 この海は本物なのだろうか。そもそも僕は何をしに海に来たんだっけ。そうだ、イルカを待っていたんだ。いや、何でイルカを待っているんだ?
「あ、これ夢かぁ……」
 おかしいと思った。BBQの時期は終わったし、海釣りに来るには軽装備すぎるし、何より船がやたら古くさい。
 僕は今、夢を見ている。夢の自覚がある夢のことを明晰夢と言う。夢の中で夢である自覚を持ち、自在に夢を変えることが出来るらしいのだが、生憎僕が夢の状況を変えられたことなんて一度もない。
 イルカを待っている。ただのイルカじゃない、カラ松兄さんがイルカになったのだ。カラ松兄さんの乗っていた船が波に揉まれて沈んで、てっきり死体が浮かんでくるだろうと思ったら、イルカになって一人で――いや、一匹でどこかに泳いで行ってしまったのだ。
 捕まえなくちゃいけない。何しろ、イルカになったカラ松兄さんは人語を理解し、会話まで出来るのだ。水族館に売り飛ばしたらいくらかな、と計算したらしい検索履歴が僕のスマートフォンに残っている。
「カラ松にいさーん、帰ってきてよー」
 大海原に呼びかけてみる。僕の声はどこにも響いていかない。
イルカが目の前に現れたらすぐ捕まえられるように、ぎゅっと投網を握りしめているのだけれど、波でゆらゆらと船が揺れるだけだ。
 捕まえたら売り飛ばすとかそういうことは置いておくとして、カラ松兄さんはなぜ逃げているのだろう。自分で言うのも何だけれど、僕はオープンに儲ける意欲を出すようなヘマはしない。カラ松兄さんに気付かれずに水族館に納品くらい簡単なはずだ。まして、これは僕の夢の中なのだから。そもそも、二人で何をしに海まで来たんだろう。夢である自覚を持ってしまうと、夢であることに気付く前のことをすっかり忘れてしまう。
 今すぐ起きて、隣で寝ている兄さん聞いてみればわかるだろうか。それよりまず、勝手に僕の夢に出ないで、というところから始めなくてはいけない気がする。カラ松兄さんなら、夢に見るほど俺を好きなのかブラザーとか言って喜びそうだ。
 数匹のイルカの群れが通り過ぎる。その中にカラ松兄さんらしきイルカはいないように見える。カラ松兄さんはどんなイルカになったんだっけ。わからない。覚えていない。僕はイルカになった兄さんを見ただろうか。
 イルカたちはキュウキュウ鳴いて、僕にぱたぱたと手を振っている。芸をしているつもりらしい、ジャンプやお手振りをしてはくちばしを開けて小魚をねだっているように見える。
「ごめんねー、エサはもってないよ」
「ちぇっ! つかえねー!」
 悪態をついたイルカが颯爽と去っていく。喋れるイルカは珍しくないのか。しまった、あの群れごと捕まえるべきだったか。それにしてもおそ松兄さんに声が似ていた気がする。
 去って行くイルカたちを横目に舌打ちをすれば、一匹だけ残ったイルカが僕を見ていた。
「お前はいいの? 置いて行かれちゃったよ」
「何を言っているんだ、俺がお前と居るのは当然だろう」
 イルカはひれを器用に使って海面を叩き、僕の乗っている船の周りをぐるりと回った。小さな船であるせいか、イルカが周囲を泳ぐ波だけでひっくり返りそうだ。
「フッ……トッティ、わからないのか? 俺がカラ松さぁ!」
 時が止まる。ちゃぷちゃぷと船を揺らす水音と、いつもと同じようにサングラスをかけようとし、ひれが届かずやめた。
「いるなら教えてよ!」
 水しぶきを浴びながら投網を投げる。イルカのカラ松兄さんがじゃぶんと海に飛び込んだ。まるで当然みたいに投網をを避けて逃げられてしまう。
「なんで逃げるのさ、一緒に帰ろうよ!」
「追いかけてくればいいじゃないか!」
 わははは、とカラ松兄さんは笑っている。何だよ、何なんだよそれ。これは僕の夢なのに、僕を仲間はずれにして好き勝手して、一体何がしたいっていうのさ。
「絶対捕まえてやるからな!」
 船に足をかけ、海に飛び込む。海水の中で目を開いても痛くない。息苦しくもない。兄さんは僕の伸ばした手の先にいて、ひらひらと尾びれを振っている。これを掴むんだ、とでも言うように。
 泳ぐ。手を伸ばす。逃げる。ぶくぶくと空気の泡が海面に浮かんでいく。海面に近づく空気の泡がきらきら光っている。
 僕の指は届きそうで、届かない。もういやだ、もう夢なんかいい、目を覚ましてしまいたい。起きたら隣にいるのに!
 ああ、起きればいいじゃないか。

 
 目を開ける。隣で呑気に寝ているカラ松兄さんを一発はたく。鈍いうなり声に知らんぷりをして、顔を洗うために階下へ降りた。それにしても変な夢だった。海でイルカと……何をしていたんだっけ。すぐに忘れてしまうから、夢は好きじゃない。

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