【松】はんぶんこ(52)

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おそ松になみなみと注がれた焼酎がグラス一杯残っている。
宅飲みのレギュラーと言えば、もっぱら安い缶チューハイか適当に調達してきた日本酒や焼酎をソーダで割ったものになる。バッカスが俺を誘うためかろくに味わえもしないのは周知されているので酒を注がれることもないのだが、今日は早々におそ松に付き合うチョロ松がダウンしてしまった。
標的がいないと見るや、兄弟のどれでも構わないだろうと絡まれ、あげく僅かに水が残っていたマグカップにこれは水だから大丈夫などと適当なことを言いながらなみなみ焼酎を注いで嵐のように去っていった。次の標的はトド松のようである。合掌、している暇はない。
己はまごうことなきニートである。アルバイトなり何なりで金を得たことはあるが、酒を買ったその金の出所はお小遣いであり、元をたどれば両親の稼ぎにあたるわけで、まあ端的に言えば飲まずに捨てるのは勿体無い。
グラスを持ち上げると、フチのあたりでふるりとゆれる。表面張力が出来るくらい入れるなよあの野郎。酒に弱いのなんて知ってるくせに、潰したくてしょうがないのが丸見えだ。
こぼさない様にそろそろと口をつけて傾ける。口内に広がる何ともいえない辛さと、喉の奥を伝っていくちりちりとした感覚にはいまだ慣れることは出来ず、これを飲み干すまでにどれくらいの時間がかかるのかはもはや計測不能の事態となりつつある。
「あれっ、にィさんめずらしー、お酒飲んでる!」
「……じゅうしまつは酒臭いな」
「おれはねえ、おそ松兄さん寝かしつけてきたから!バッチリ!いい夢見れるとおもうなー!」
十四松の後ろ、赤いパーカーが床にぺしゃんと転がっているのが見える。十四松が袖の中でぐっと親指を立てて、両目をぎゅっと瞑る。ウィンクがしたかったらしい。なるほど、それはグッドジョブだ。
「ナイスだ十四松」
「んでんで、カラ松兄さんこれ飲めない?おれ半分もらおっか?」
両手で包み込むようにして持っていたグラスを、俺の手ごとぎゅっと握って十四松は首をかしげる。十四松は、俺よりずっと酒に強い。酔っ払うのはきもちいいよ、とまで言うのだからすごい。俺はふわふわするのが怖くてだめだ。
「ブラザー、半分と言わずぐいっといけ」
「オッケー!とらすとみー!」
グラスごと渡すつもりだったのだが、十四松は俺に持たせたままでグラスのフチに口をつけた。鳥のくちばしみたいにちょっととがった唇が、透明なグラスを挟んでいる。俺の手を包んだ十四松の手が、パーカーの内側からどうにか傾けようとがっしりつかんでくる。ことのほかその手が熱くて、うろたえながらもグラスを徐々に傾けていく。喉が動くのは見えないけれど、飲み込む音がやけに耳に響いて、心臓がうるさく鳴った。
どれくらい時間がかかったのか、最後の一口までを十四松が浚っていった。自分の手から与えているように錯覚して、感覚がなくなってしまった。案外マミーの感覚ってこんな感じなのかもしれない。
俺の両手を包んでいた熱から解放されたあと、袖から手が生えて再び手を捕まえられる。
「じゅうしまつ」
「いっぱいになっちゃった」
何が、と言う前にお見舞いされた焼酎味のキスの熱さといったら、その熱の正体を察したときの俺といったら、とても兄とはいえない顔をしていたのではないだろうか。結局バッカスに誘われた今となっては、わからないけれど。

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