【松】「頼むから離れないでくれよ」(32)

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窓を背にしている。横目で外を見れば、街は花曇りの薄い灰色の雲に覆われていて、遠い故郷の桜を思い出させた。桜が咲き出す頃の空は、なんだか色彩が薄くてはっきりしない。コントラストが低いそれは既に遠い過去のものだ。
机の上には山のようにプレゼントの小箱が載っている。大小様々なそれは、ホワイトデーのお返しと称して各所にばら撒いた良からぬものの塊で、自身が用意して余らせたものだ。 そのうちひとつを拾って手のひらに転がす。薄い青のストライプで彩られた箱、それにかかる赤いリボンを解いて、何気なく窓の外に捨てた。
二階の窓からひらひらと落ちていくそれは汚れた路地に落ちることなく、一人の男に拾われる。
低く笑う声がする。拾った、もしくは掴み取った男は帽子の鍔を上げて窓の向こうにいる僕の姿を見て笑った。
「いまどきこんな連絡手段、使う?」
「いまどきだからだよ、一松」
一松ーー僕個人と外の組織を繋げる交渉人は、リボンを乱暴にポケットに突っ込んで街中の方へ消えていく。
落としたリボンの内側には、この後の指示を書いてある。指示を覚えた後は燃やしてさえしまえば、証拠は灰と消えて足がつかない。デジタルの足跡が追える時代だからこそ、アナログで偶然に手に入る品を使う方がいいのだ。
こつん、と控えめに鳴らされるノックの音に僅かに心臓が跳ねた。アナログでもデジタルでも、まず自分の動揺を悟られては話にならない。特に、これからこの組織から抜ける準備には慎重さが必要だった。
「……どちらさま」
「おれだ、チョロ松」
耳慣れた声に安堵をしながら、一番ぼろが相手が現れてしまったことに舌打ちをする。
外の組織との絡みに、カラ松を連れて行くつもりはなかった。わざわざ危険な道に引きずっていく必要はない。例え、互いへの思いがあったとしてもだ。
己の頬をぴしゃりと叩く。いつも通りにしていればいい、まだ動き始めたばかりなのだ。悟られなければ、問題は何もない。立ち上がってドアの鍵を開け、ゆっくりとノブを捻る。いつも通り、いつも通りを心掛ければいい、考えすぎるな。
「何か隠し事があるな?」 
開口一番これである。付き合いは長い、夜を共にしたこともある、もちろんその熱に溺れたことも。まだ看破されるわけにはいかない、自然を装って部屋の中に招き入れて再び鍵を閉めた。
「言いがかりやめてくれない?」
ため息と共にそう返せば、カラ松は机の上に積んである小箱の山を前に口元をにやつかせている。何か隠し事をしているのは確定、とそういう風に決め付けられてしまった。事実、隠し事はあるのだけどまだ言えない。今後、言うつもりもない。
「わかった、俺の秘蔵の酒を開けたな?」
「違うよ」
お前の酒はただの葡萄ジュースだろう、わざわざ酒じゃないと訂正する気にもならない。
「なら屋根裏貯金の額が増えたか?」
カラ松は僕のデスクにどっかりと座り、リボンだけがなくなった小箱を人差し指で突く。それだけにリボンがない。他のも解いておくべきだった。半ば焦りながら、机の上に手をつく。
「勝手に出さないでよね」
「この組織をぶっ壊す準備に取り掛かった」
ひゅ、と息を呑む。呑んだ瞬間、もう黙っていられないのを悟る。
「ビンゴォ」
指を銃に見立て、僕の胸に突きつけるカラ松の目が全く笑っていない。その視線から逃げるように、頭を垂れた。ぎし、ぎし、と鳴る椅子の音だけが部屋を沈黙にしておかない。
「言いつけたりはしないさ、だがチョロ松」
頭を垂れる僕の首筋に触れる冷たい塊がある。ナイフか、銃か、どちらにせよ僕の命を奪うのは容易い。
「頼むから、離れないでくれよ」

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