ぐっすり眠った以蔵さんの寝顔を見ることおよそ三分、わたしの手がすっかり解放されてから行動を開始した。
サーヴァントは人間より暑いとか寒いとかに耐えることが出来る。そもそも睡眠も娯楽とかなんとかだった気がするけれど、寝苦しそうに見える首巻きを取り去った。コートは話が盛り上がった頃に適当に脱ぎ捨ててしまっていて、これだけが気になっていた。
以蔵さんは首巻きを取らない。そういえば首回りの肌を見た記憶がないことに気がついてじっと見つめれば、首筋にうっすらと赤い傷跡が浮かび上がっている。
「……きずあと?」
そうっと撫でてみる。生前の傷だろうかと考えて、資料で知った彼の最期に思い至った。迂闊にその傷跡を触った自分の手を叱咤し、次は以蔵さんの眠っている椅子へ手を伸ばす。こんなこともあろうかと、客人用の椅子はキャスター付きだ。うんうんとなんとかベッドの横につけ、ぐんにゃりと脱力した身体をえいやと投げる。
こういうときに一時的な怪力スキルがあればと思うのだが、わたしと誰かの食事会の最中にはほかの誰も介入しないのが暗黙の了解になっている。だからこういう始末も全部自分でやるしかない。
以蔵さんをごろりと転がしてベッドに腰掛けて一息つく。重い。すごく重かった。こちらの苦労も知らない以蔵さんはと言えば、ふにゃついた口元となんにも不安がないとばかりの寝顔をさらけ出している。
「いぞーさん、以蔵さーん」
ぺちぺちと頬を触ってみる。眉間に皺が寄るくらいで、目を覚ます気配はない。シングルサイズのベッドであるから、二人で眠ることは出来なさそうだ。いや、異性のサーヴァントと同じベッドで眠るというのは、出来れば避けたいところではあるのだが。
サーヴァントにベッドを取られるなど、マスターにはよくあることである。クローゼットにマーリンが持ち込んだ折り畳みハンモックがあったはずと立ち上がりかけたところで、ぐいと手を引かれた。
「どこいくが」
「……狸寝入りしてたんです?」
以蔵さんはにんまり笑う。岡田以蔵は寝たふりがうまい。覚えたぞ、と小さく笑う。
「すぐそこですよ、ここじゃ狭くて眠れないでしょ」
「なんじゃと? わしのここがあいちゅうがぞ」
両手を広げて見せる以蔵さんとわたしの間に沈黙が三秒、ぷっと吹き出せばお互いけらけら笑ってしまう。ひとしきり笑ってから、以蔵さんはベッドに手をついて身を起こそうとして、顔をゆがめてベッドに再び横になった。
「ど、どうしたの……」
「痛え……」
「鬼でも酔うお酒だものねえ……」
やはり、わたしの僅かな魔力では完全に回復させることは難しいらしい。再び頬に触れれば、以蔵さんにその手をがっしりと捕まれてしまった。
「つらい? 大丈夫……?」
「おまんがさわっちゅうと楽じゃ、もっとこっち来とうせ」
言うが早いか、以蔵さんはわたしの身体を軽々とベッドの上に攫ってしまった。猫とか犬みたいに、全身をぺったりとくっつけてくるのでちょっと暑苦しい。あと、お酒の匂いがすごい。
肌をくっつけているだけでも魔力は供給出来るらしい。わたしは元々魔力が低いから、本当に供給できているかどうか実感がない。だからこそ、本人が楽になるならお酒の匂いくらいは我慢しよう。
「以蔵さん、体温高いね……」
「ん……そうかの、わからん……」
人間の体温は心地よい、と思う。ただ、これはただの手当であって、それに深い意図はないと思っていないと、なんだか恥ずかしくていたたまれなってしまう。
「おまんはなんともないんか?」
「わたしは一口しか食べてないから」
耳元でぽそぽそと呟かれると、いよいよ目が合わせられなくなってしまった。異性への耐性のなさは自覚していたが、サーヴァントとのじゃれつきでここまで接近することが今までなかったのだから仕方がない。
「のう、マスター」
「何?」
「ちくと顔上げてくれんか」
今じゃないとダメ?なんて聞ける空気ではなかった。そろそろと顔を上げれば、少しも酔いの気配がない金の瞳がわたしを見つめていた。
「……どこまでわしを信じゆうか、阿呆め」
は、と小さく声が漏れる。狸寝入りからではない、もっと前からだったのならいつから。考える間もなく、ざらついた熱に唇を奪われた。瞬間、かっと顔に火が付く。思考はまともに周りもせず、微笑む以蔵さんを見て呆然としている。
「い、いぞ……うさん、ちょっと待って、だめです」
以蔵さんの顔を両手でぎゅっと挟み、なんとか腕を突っ張る。きょとんとした以蔵さんの顔はちょっと面白いが、今はそれどころではない。
「どういて?」
「一応わたしはあなたのマスターであって……」
「なんじゃ、従者のつもりでわしをおいとったがか?」
以蔵さんはわたしの手をぎゅっと握り、愉快そうに笑った。これからもっと楽しくなるとでも言いたげな笑顔はなんだかかわいく見えて、胸の奥がすこしきゅんと鳴いた。
「次はこじゃんと食うちゃるき、覚悟しときや」
のうマスター、楽しみじゃ。そう言って以蔵さんは満足げに笑い、わたしをぎゅうと抱きしめてくる。甘えられていると思えば良いのか、それとも人間として好かれていると安心すればいいのか、いや、いや、でも、こんなことは。
「おまんも体温高いのう、熱すぎるくらいじゃ」
からかってあそばれているのでは、ないだろうか。今度は本当に眠ってしまったらしい、だらりと脱力した腕がわたしに乗っている。唇に残る感触が未だ熱く、わたしが眠れないまま夜は過ぎていった。