表紙

【WEB再録】Hey Brother,I'm A STAR(18/05 発行)

 春先の強い風がシーツをはためかせている。六色のパーカー、襟がくたくたになったシャツ、膝のすり切れたジャージ、ラメのギラつくタンクトップが並ぶ。

 それぞれが渇いていることを確認しながら、小脇に抱えたランドリーボックスに叩き込んでいく。夕暮れが近い屋根の上、時折飛ばされてきた花びらが視界の端を横切っていく。

 地獄から帰って来て、兄弟のうち半分はニートからフリーターになった。赤塚は童貞というアイデンティティがあれば十分らしい。残り半分は職業訓練校か、資格勉強か、全くの謎だ。

 資格を取ろうと思ったのは、安心を得るためだ。コツコツと勉強をして試験を受け、認められる成績を収めることで自分の知識が保証される。認めてもらえる、というのが良い。

 チョロ松が兄として一緒に訓練校に行かないかと誘ってくれたことがあったが、断ってしまった。せめて試験を一度受けるまでは、自力で続けるつもりでいる。

 さて、全く謎の松カラ松と言えば、何をしているのか予想がつかない。革ジャンにサングラスで出かけることもあれば、無個性な黒いシャツにデニムで出かけることもある。毎朝決まった時間に外出するわけでもなく、偶然外で見かけたときの連れ合いはいつも違う。

 何をしているのかと聞けば、教えてくれるだろう。だが、仕事をしているのかどうかすらわからない状態のカラ松に何からどこまで尋ねれば良いかわからないままだ。

「一松、宇宙に興味はあるか

 突拍子のない問いが背後から訪れ、沈黙で答えた。六人分の下着をまとめてランドリーボックスに叩き込み、くるりと振り返る。

 カラ松ははためくシーツをくるくると自分の腕に巻き付けるようにして回収し、それから僕のことをじっと見ている。わざとらしく周りを見渡して見れば、少し困った顔をしながらお前に言ったんだと付け足した。

「言い方を変えよう。収入の当てがあってな……手伝ってくれないか」

 カラ松が言うには、デカパン博士とハタ坊の二人から連名の依頼で、フラッグコーポレーション所有の宇宙ステーションで三ヶ月ほど眠るだけの簡単なお仕事だという。

 宇宙に行く、というのはわかる。フラッグコーポレーション所有の宇宙ステーションにはセンバツの時にお世話になった。

 設備に何の不満もなく、万事何事も起きることはないように思える。だが、眠るだけというのはどうもきな臭い。

「……ボロすぎない

「帰ってきてからが肝心でな……地球にいるお前たちと、宇宙から帰ってきた俺を比較して何かを調べるんだと」

 その何を調べるかが重要だと思うのだが、詳細は知らないらしい。宇宙に行くのは難しくなく、安全な場所で眠るだけでいいなら簡単だと判断したのだろう。何というか、気楽な奴だ。

「いくらもらうの、それで

「結構いい、しばらくバイトもお休み出来るくらい」

 バイトをしていたのか。偶然に答えを得てしまったが、しおれはこの際置いておく。

 カラ松がにんまり笑う。我々は六つ子である。そう、六人いる。その中でわざわざ僕にだけ声をかけるということは、帰還後の礼金を山分けするというのが筋だろう。問題はその比率だ。

「半分」

「宇宙に行くのは俺なのに強気の交渉だな

「おそ松兄さあん」

 階下にわざとらしく呼びかければ、カラ松はわかりやすく狼狽える。おそ松兄さんはバイトでいないのだが、カラ松はあまり家にいないから知らないだろう。

「三割

「ねえ、誰かいる

 引き続き呼びかける。カラ松はシーツを僕の口に押しつけるようにして音を殺した。柔軟剤の匂いで息苦しさを覚えたが、目前にあるカラ松の顔があまりに真剣で振り払えない。

「三割五分、もうこれ以上は譲れない」

「ヒヒ、十分……」

 シーツを受け取り、他の洗濯物と同じようにボックスに入れる。この問答を誰かに聞かれていなければ、利益の山分けは穏便に済むだろう。

「急な話だが出発は明日だ」

 ランドリーボックスの中から、ラメのギラつくタンクトップを取り出しながらカラ松は言った。

「定期的にデカパンのところに顔を出してくれ、数値を取る。明日からは通信で会おうなブラザー」

 宇宙に行くのは、こんなにあっさりと済むことだったろうか。ステーションにいって、三ヶ月眠って、帰ってくるだけの話ではあるが、近所に行ってくるような口振りに違和感を覚えた。

 呼び止める言葉が思いつかない。目の前でカラ松が立ち止まった。背中にぶつかりかけ、たたらを踏んだ。

「……俺はお前が呼べばどこにでも飛んでいくつもりだ」

 日が沈む。逆光で、カラ松の表情はよく見えない。いつものふざけた声音でもなく、心細いと訴えるような細い声でもなかった。

「お前はどうだ

 一瞬、答えを悩んだ。普通なら、どこにでも行くというのが正解だろう。関係が良い兄弟であればきっとそう答える。

「……お前、地獄では死ねだのなんだの言っただろ

 兄弟が呼べば、どこにいても例えば地獄の底にいても助けに行くか 答えは否である。何せ、六つ子である。お互いを蹴落としてきた兄弟。邪魔者が消えればよし、特にカラ松はあまりに自由で、その脳天気さが鼻について仕方がない。やめればと言っても止めず、物理的に止めてもいつのまにか松野カラ松をやっている、そういう男である。

「フフ、素直じゃないな……さっきの答えは考えておいてくれ」

 表情は見えないまま、カラ松は先に部屋へ戻ってしまった。どういう意図の質問だったのか、考えてもきっとわからない。

 のろのろと部屋へ戻り、それからいつもと同じように過ごした。六人揃うのが珍しくなった夕食の場では宇宙のうの字も出ず、銭湯で背中を流す順番すら変わらない。布団に入る時ですら、カラ松は何も言わなかった。

 アイマスクをつけ、布団に潜る。トド松は帰りが遅い。隣には、カラ松の体温がある。明日からいない、と言われても実感が湧かない。三ヶ月なんてあっという間だろう、きっと。



 次の朝、目を覚ましたらカラ松はもういなかった。トド松は休みらしく、起こすなとばかりに目覚まし時計を伏せて眠っている。自身の左側にある空白を撫で、そっと布団を抜け出した。

 カラ松には、数値を取るからデカパンの研究所に行くように言われていた。朝食を食べたら億劫で外出しなくなりそうだから、さっさと行ってしまわなくては。

 いつものパーカーにジャージ、底のすり減ったサンダルで家を出て、研究所まで向かう。春にしては、妙に空の澄んだ朝だ。これに咲き乱れる花のかおりがあれば完璧だろうが、どこかから何かが焼けたような、焦げ臭い匂いが漂っている。消防車が走っているわけでもなし、とにかく研究所へ急いだ。

「協力ありがとうダス、それじゃ早速検査検査」

 ホエホエ、といつもと変わりない様子のデカパンと、メイド服のダヨーンに迎えられ、あれよあれよと身体検査に至る。身長体重体脂肪率、視力検査から血圧など、学生時代の健康診断でやった検査が近い。血液採取だけは避けたかったが、注射でなければどうにもならないというので何とか耐えた。これも礼金のためである。

 しかし、宇宙に行った人間と、地球にいた人間の遺伝子がどう変わるかなんて調べてどうするのだろう。僕には全くわからないが、何か意味のあることなのだろうか。それとも、後付けで意味を見いだすのだろうか。

 生まれてから今まで、そう変わらない日々をずっと過ごしてきた。毎日何をして過ごしているか知らなくても、同じ食卓で飯を食べ、同じ布団で眠っていたのだから、大体同じもので出来ていると言ってもいいはずだ。それが、たった三ヶ月宇宙で過ごすだけで、何かが変わるかもしれない、らしい。

「はい、終わりダス。針を抜くダスよ、このまま押さえて」

 なるべく遠くに思考を飛ばしていたのは、採血の痛みやら、針の感触から逃避するためでもあった。止血用の脱脂綿を当て、指先で押さえる。終わってさえしまえば痛みもほとんどないのに、針が刺さる感触がどうにも苦手だ。

 止血の場合、十分ほど傷口を押さえる必要がある。デカパンが採取した諸々を整理しながら、ちらと視線を投げてきた。

「今のカラ松くんの様子、気になるダスか

 気にならないと言えば嘘になるが、聞いたところで何をするわけでもない。いや、と答えるより先にデカパンににっこりと微笑まれてしまった。喋りたいらしい。

「……話せば

「じゃあ話すダス

 デカパン曰く、カラ松の乗ったシャトルは朝方無事に発射され、今は月の軌道上にあるステーションに着いた頃だと言う。

 フラッグコーポレーションの宇宙ステーションは、このまま三ヶ月の実験期間が終わるまで、月の軌道に乗ってぐるぐるし続けるらしい。

 デカパンの話は僕の血が止まってからもまだ続いた。この宇宙ステーションの準備に三年かかったことから、出発の際に大爆発が起きたがシャトルは無事にステーションにたどり着いたことまで、延々話題は尽きない。

 あまりに長い話に気を遣ってか、ダヨーンが昼食を用意してくれた。フラッグコーポレーションからの差し入れらしく、謎肉がふんだんに使用されている。何の肉かは知らないが、腹は減っているから何でも食べられる。

「爆発は想定外だったの

「発射するだけならこんな大事にはならなかったはずなんダス、カラ松くんと一緒に送ったロボットが内部調査中で……」

「故障

 そう聞けば、デカパンは目を白黒させた。兄弟の生命が危うく失われるかもしれなかったことを責めているわけではないのだが、デカパンからすれば気が気でないだろう。

「大丈夫、大丈夫ダスよ。優秀なAIを積んだロボットだから」

「まあ、何かあればこっちを弾んでくれれば」

 親指と人差し指で輪を作ってみせれば、デカパンもダヨーンも共に苦笑した。フラッグコーポレーション出資だから、その点は心配いらないだろう。

「懸念点は上げれば尽きないダス」

 例えば出発の際に起きた爆発が、シャトルにどんな影響を及ぼすかをデカパンはぽつぽつと話し始める。よくわからないカタカナやら、熟語やら、右耳から入って左耳へ抜けていく。満腹な状態で、こんなわけのわからない文言を聞いていれば眠くなるのは仕方が無いことだ。

 相槌を打ちながら、うとうとと船を漕ぐ。高度の維持が云々。空気を生み出す機械が云々。水が。休眠装置が。うにゃうにゃと、わからないことばかりだ。目を瞑ったら眠ってしまうとわかっているのに、瞼は重くなる。そのうち、意識はブラックアウトした。

 瞼の裏には暗闇がある。あるというか、眼球が光を捉えられなくなって周囲を知覚できないだけだ。だからか、耳が研ぎ澄まされる。デカパンの声は、妙に遠い。だというのに。

「一松、答えは

 カラ松の声が聞こえた気がして、はっと目を開いた。

「一松くん、お話終わったダスよ」

「……あ、そう。お昼、ご馳走様」

 どうやら聞き間違いのようだった。気恥ずかしさを悟られぬよう、そそくさと研究所を出る。検査に続く検査と長話、更にはうたた寝で、外はすっかり日が傾いていた。

 春とはいえ、日が沈むと肌寒く感じる。カラ松が帰ってくる三ヶ月後には、夏になっているはずだ。

 ビルとビルの隙間から、薄らと月が見える。カラ松のいる宇宙ステーションは、地上から見えるのだろうか。足を止めて見上げてはみるが、人間の視力では見えないだろう。それなりに気にしているらしい自分に気がついて舌を打ち、家へ帰った。



 花の春はあっという間に過ぎ、ニートの身には関係のないゴールデンウィークも終わった。接客に休みなしとばかりのおそ松兄さんに比べ、トド松はカレンダー通り休めて随分羽を伸ばしたようだった。

 五月も半ばになれば、ほとんど初夏と言ってもいいような暑い日々が続く。カラ松が帰ってくるまで、あと一ヶ月弱。

「今日は大事なお知らせがあるダス」

 デカパンに呼び出されて研究所に行けば、いつものホエホエとした空気はなく、硬い表情のデカパンに迎えられた。

「……何

 重苦しい口調で、ステーションにあるカラ松の休眠装置にエラーが発生したと告げられた。

 ただのエラーであれば、地上から指示をしてをステーションのAIに解決させるのだが、どうもエラーが起きているということしかわからないらしい。

「死んだわけじゃないんでしょ

 そう聞けば、デカパンの顔は青くなる。

「システムが停止しているわけじゃないんダス、それに生体反応は取れているから最悪の事態というわけでは……」

 最悪の事態と言われると、こちらも身構えてしまう。だが、地上で僕が何かを出来るわけでもない。何も出来ない以上ここでこれ以上話す事もないだろう。

「死んでないならいいよ、別に」

「何かわかったら、すぐ連絡するダス

 デカパンは、研究所で原因究明に努めると言う。エラーの原因がわかったとして、解決手段の立案やら、それの実行のためにAIに作業指示を出すまでしばらくかかるためだ。

「じゃ、よろしく……」

 任せて欲しい、と胸を張るデカパンにひらひらと手を振る。

 月と地球の通信がどれくらい難しいものなのか、僕にはわからない。カラ松はこの騒ぎを知らず、ただ眠っているだけなのが、今は少し憎たらしかった。

「あれ、一松兄さん」

 研究所から出てきたところで、作業着のトド松に偶然会った。台車には取り扱い注意と赤字で書かれた段ボールが積んである。取り扱い注意であるのに積み上げていいものなのか、一瞬考えてしまった。

「仕事

「うん、仕事。デカパン、うちのメーカーのお得意様だからね」

 トド松は、精密機器メーカーの修理配達員をしている。どうもデカパンに機材修理の引き取りとして呼ばれたらしかった。

「今日は何してんの デカパンと猫としゃべれる本みたいなの出版する感じ

「しないよ。ちょっとね」

「あ、もしかしてカラ松兄さん

 カラ松の長期不在については、フラッグコーポレーション絡みの検体でいないということになっている。フラッグコーポレーションが関わっているのは本当、検体になっているのもまあまあ本当、ただ実施場所が宇宙だと言うのは黙っていた。

「元気らしい」

 死んでいないのであればカラ松は大体元気だと思う。これは僕が思っているだけであるから、嘘である。

「そっかー、まだ帰ってこないか……」

 トド松の引く台車についていく。会社のロゴが入ったワゴン車のバックドアを開け、段ボールを積んでいく。

「いないほうが静かでいいだろ」

 段ボールを持ち上げるのを手伝う。これを常は一人でやっているのだから、末弟は立派だ。

「本当に

 段ボールを手渡す。一瞬、トド松は口元の笑みを消した。心臓がぎくりとする。

「僕は結構寂しいよ、カラ松兄さんはちょっと変だけど。一松兄さんはそうでもないの

 寂しいかそうでないかで言えば、毎晩隣にあった体温が一つ足りないというのは今でも違和感がある。不意に聞こえるギターの音がなくなったし、付箋だらけの本を覗く楽しみもない。

 ただ、離れていてちょうどいいと思うこともある。近くにいるより、多分ほんの少し離れている方が良いのだ。

「……俺は、これくらいがいいのかも」

 そう、とトド松は言った。バックドアが閉まり、トド松は工場へ帰っていく。僕もまた、家に帰る。資格試験の勉強だけが順調だった。



 そんな話をしたからだろうか、夢枕にカラ松が立った。

 深夜である。ふと目を覚まし、ついさっきまで見ていた夢を思い出そうとした。何かを話したような気がするのだが、覚えていない。本当にカラ松だったのかもわからなくなった。

 隣に体温はない。トド松はぐっすり眠っている。面接マニュアルを顔に被せて寝ているチョロ松が見え、カーテンの隙間からは月光が差し込んでいる。眩しかったからマニュアルを被ったのか、読んでいる途中に寝落ちたのか、どちらだろう。

 意識がすっかり覚めてしまっている。のっそりと布団から出て、チョロ松の顔に載るマニュアルを取り除いた。どこか置く場所を探して部屋をぐるりと見渡せば、ソファーに誰かが座っている。寝ぼけた目は暗闇に慣れておらず、どの松か咄嗟にわからなかった。

「ねえ、そこにいるのどの松 布団で寝なよ」

 時計の針が、ぼんやりと薄緑の光で浮かび上がっている。時刻は二時を過ぎたところだ。いわゆる丑三つ時である。

「ふふん、一松……子守歌が必要じゃないか

 は、と声が漏れた。しばらく聞いていない声である。ギターの弦が弾かれる音がする。ソファーに座っているのは、カラ松だった。

 見間違いではないか、目を擦ってもカラ松は消えない。寝ぼけているのではないだろうか、頬を抓れば痛みがある。どうもこれは、夢ではないようだ。

 恐る恐る近付く。よく見れば、カラ松の身体は薄らと透けている。服装はいつもの青いパーカーにストレートのデニム。薄暗いのにサングラスをつけているあたりも、カラ松だった。

「子守歌代わりに、俺のスペース・トークはどうだ

 サングラスを外す。暗闇の中でも、その目がきらきらと輝いているのがわかって、つい視線を外した。とにかく話したいらしいのは、空気でわかる。黙って隣に座る。

「……喋りたいんでしょ どうぞ。秒で寝落ちするけどね」

「あのな……」

 それから、カラ松が宇宙にいってからの話を聞いた。シャトル発射の衝撃で気を失ったことだとか、無重力でうまく動き回れず、機材に頭をぶつけたことだとか。宇宙ステーションの中が広くて迷子になりかけた話は、考えなしに動き回るなと途中で釘を刺してしまった。

 カラ松は延々喋り続ける。普段から格好良い自分の演出に多種多様な言葉を使う男だが、ここまでただ体験してきたことを話すのを聞いたことはない。

 カーテンから差す月明かりは、いつのまにか日の出のそれに変わっていた。時計の針は、もう蓄光の明かりに頼らなくてもはっきり見える。五時だ。さすがに眠い。

「ねえ、続きがあるなら明日にして。眠い」

「わかった、それじゃあまた明日来るからな

 うん、と返事をして、瞬きのうちにカラ松はいなくなった。布団に戻ることすら面倒で、そのまま横になる。昼寝に使うブランケットと、アイマスクをつけた。カラ松は、半透明だった。それから、出発してからのことを喋った。

 休眠は仮死状態だという。カラ松は化けて出たのだろうか。

 わからないまま、次の夜も、また次の夜も、カラ松は部屋に来て宇宙の話をした。俺以外の兄弟には、どうやら見えないし聞こえもしないようだった。

 毎晩、ただ喋るカラ松の話を聞くだけだった。相槌を打ってやれば、嬉しそうに話が続く。地球は俺の色だったとか言われた時には、つい笑ってしまった。規模が大きすぎるだろう。それに地球はラメでギラついているわけではない。

「光って見えるんだから、俺もまた光っているだろう」

「それはどうかなあ……」

 そんな下らない話ばかりをして、十日経った。そろそろ、カラ松の帰還準備が始まる。デカパンからよかったら見学に来て欲しいと言われたから、今晩のカラ松の話は早めに切り上げるつもりだ。

「ブラザー、俺のスペース・トークも最終回だ」

「地球に帰ってくるからだろ」

 明日は俺も見に行く、とは言えなかった。何しろカラ松の本体は眠っているのだ。

 カラ松は肩をすくめて、帰ってくることが出来ればなあ、と言った。冗談だろう、殺しても死にそうにないくせに。

「覚えてるか 俺が呼んだらどこにでも来てくれるかって聞いただろ」

 覚えている。その質問には、答えなかった。多分、今も答えられない。その答えをカラ松に言う気がない。

「素直じゃないなブラザー、遠慮しなくてもいいんだぜ

 カラ松は僕の背中を叩いた。半透明の身体は、触れればすり抜けるのかと思いきや、思いのほかしっかりとした質量と体温があった。

「……ここから地球が見えるんだ。月から地球を見るなんて、ロマンチックでかっこいいだろう

 遠くを見る仕草。目を細める。視線が絡んだ瞬間、冗談でした問いではないのだと理解できた。

「どういう意味

 デカパンに、エラーが解消できたのかどうかを聞いていない。死ななければいいとは言ったが、帰って来られるのかどうか、はっきりと答えを貰っていない。

「お前にも見せたかったな」

 カラ松は何を知っているのだろう。蓄光の明かりは三時を指している。カーテンの隙間から差す明かりは弱く、カラ松の姿はいつにもまして淡く、輪郭が頼りない。

「明日からはひとりで眠るんだ、グッボーイ。じゃあな」

 瞬きの内に、カラ松の姿は消えてしまった。

 胸騒ぎがする。あんな言葉を残されて、穏やかに眠れるわけがない。パジャマから適当な服に着替え、夜中にも関わらずデカパンのところへ走った。

 深夜の赤塚を走る。サンダルがコンクリートを叩く音が響く。街灯が順々に過ぎ去っていき、僕の息ばかりが上がった。

 研究所は煌々と電気が点っていた。デカパンもダヨーンも、眠ってはいなかった。むしろ、巨大な機械を前に右往左往しているところだった。

「おい、なあ、エラーはどうなった」

 開口一番そう問えば、びくりとデカパンが跳ねる。

「エラーは休眠装置のものではなく、接続したステーションの高度制御装置のものだったんダス、このままだと……」

 デカパンは口ごもった。ダヨーンですら、言いづらそうに唇を噛んでいる。不穏な空気が耐えられず、思わず叫んでいた。

「このままだと何だよ

「落ちるダス

 落ちる。何が。ぐにゃ、と視界が歪んでいく。ステーションの高度制御装置のエラー。接続した休眠装置の高度が維持出来ず、このままだと月の軌道から外れてしまう。そうなったら、どこにいくのかはもうわからない。接続した休眠装置が落ちるかもしれないし、ステーションごと落ちる可能性もある。

「ステーションにはAIしかいないダス、緊急時の人手が足りなくて……今からフラッグコーポレーションに人員補充依頼を」

カラ松は休眠中で機械の操作ができない。デカパンたちは、送り込んだAIたちを制御しながら地上で保守作業を続けなくてはならず、ここを離れられない。フラッグコーポレーションの用意する人員は、研究所に着くまで早くても半日かかる。単純な問題ではなかった。

「……何とか出来ないの」

 落ちたとして、どうなってしまうのか。死なずに帰ってくれば良い、それで十分だと思っていたのに、それすら果たせなくなる。

「行けばいい

 宇宙に行ったことはある。難しい訓練は受けていないが、指示通りに手を動かすことは出来るだろう。何より、時間がある。今すぐ行くことが出来るのは、ここに限れば僕だけのはずだ。

「失敗すれば君もろとも……それでもいくダスか

「……失敗すれば宇宙のゴミが増えるだけだよ」

 そう言えば、デカパンは深いため息を吐いてから、研究所にあるシャトルまで案内してくれた。あっという間に宇宙服を着せられて、座席にベルトでしっかり留められている。

 カラ松とは、少し離れているくらいでちょうど良いのかもしれないと思っていた。だが、それはカラ松がそれなりに楽しく、本人らしく生きているのを見ていられるから離れていられるのだ。それが勝手にいなくなっては、勝手に宇宙のゴミにされてしまうのは、堪らなかった。

 カウントダウンが聞こえる。テンカウントだ。

 呼べばどこにでも来てくれるか、とカラ松は聞いた。どこにでも行くわけにはいかないから、あまり遠くへ行くなと言いたかった。

 三、二、一。ゼロカウントを聞く前に、僕の意識は途切れた。



 目を覚まし、最初に目に飛び込んできたものは豆球のような橙の明かりだった。家の天井を思い出したが、残念ながらここはシャトルの中だ。

 思い出して、重苦しい身体をなんとか持ち上げて時間を確認する。研究所を出発してから、およそ十時間が経っていた。

 宇宙服に取り付けられたデバイスを操作し、無事に着いたというメッセージをデカパンに送る。あとは指示通りに動けば何とかなるだろうが、返事を待つまでの間にステーション内部へ移動してしまわなくては。

 ベルトを外し、シャトルを出てステーションの中へ移る。まずはカラ松が物理的に無事かどうかを確かめたい。休眠装置は後付けの設備まで向かうつもりだ。

 ステーション内の重力は地球と同じらしい。デバイスで内部の地図を確認し、とにかく歩き始める。

 カラ松からは、一度も休眠装置の話を聞いていない。ステーションが広くてヤバいだの、地球は俺の色だの、くだらないことばかりを聞いていただけに、その話題が一度も出なかったと気がつくと妙に気になってしまう。生きているのは確かだが、それ以外はわからない。

 近未来のフィクションみたいな、何重もの自動扉をくぐり抜ける。配線がむき出しの部屋をいくつか越え、バカでかい機械がいくつも並ぶ部屋を駆け抜けて行く。ごちゃごちゃと物で溢れるステーションの中を走るのは、なかなか困難な作業だった。

  息が上がってきた。足もだるい。我はニートである。体力は全くない。毎日兄弟とモラトリアムを楽しんで生きてきた。モラトリアムは去りつつある。

 デバイスに従って走ってきた。計測器が並ぶ部屋を抜けると、一際広い部屋に出る。壁の周りにはクッションのようなものが敷き詰められ、部屋の中央にはケーブルが大量に繋いである長方形の箱が鎮座している。

 箱は、薄ら青く発光しているように見える。宇宙空間では、目に異常が出るのだろうか。色が正常に見えないだとか。駆け寄って箱の中を覗き込めば、いつもと変わらないカラ松がそこにいた。

 顔色が悪い。本当に死んでしまったのではと焦るほど、肌が青い。いや、箱の中が青すぎる。目元を擦る。いつもと同じカラ松は、箱の中でサングラスをつけている。箱の中、いたるところに設置された青色ダイオードがぎらぎらと光って、眠っている本人を照らしていた。

 脱力である。眠っているカラ松は、眠る自分の身体を青色の光が照らすようライトを設置したらしい。宇宙ステーションの中で、電池を使った仕組みというのはどうにも子供の作ったおもちゃじみていて、気が抜ける。

「バカすぎて何も言えねえ……」

 ため息を吐くのとほぼ同時に、デカパンからメッセージが帰ってきた。一通のやりとりをするのにかかる時間は、十分ほどだろうか。

 まずは人手の確保として、カラ松を起こすよう指示があった。休眠装置の電源を切れば、目を覚ますらしい。側面の赤いスイッチを押せ、と書いてある。

 赤いスイッチが複数ついていたら、どの赤いスイッチか聞かなくてはいけなくなる。箱の周りをぐるりと見て、側面に緊急停止ボタンとラベルの付いた赤いスイッチを見つけた。

 ラベルの文字は妙に大きく角張っている。デカパンやダヨーン、ハタ坊の文字でもなく、印字されたものでもない。カラ松の筆跡に近いように見えるが、眠っている本人がスイッチの用途を示すものだろうか。

 とにかく緊急事態には違いなく、急ぎ赤いスイッチを押した。同時に、箱の側面からチューブがぼたりと落ち、箱の内側からは中を満たしていた何かが音を立てて漏れ出ていく。気体の後は液体だ。薄ら青く、ラメでギラついているように見える。元々そうだったのかデコったのかはわからないが、カラ松はこれで出来ていると言われたら納得してしまいそうな液体だ。

 液体が全て外に排出され、箱側面のロックが解除された。この後は手で箱を開けられるらしい。電源が切れた鉄の塊はやたらに重たい。鍵の開いた箱に手をかけ、何とか開ける。

「おら、起きろよ」

 箱の底にいるカラ松の頬を叩く。さっきまで液体の中にいたというのに、その表面はさらりと渇いているようだ。手袋を外し、頬を撫でる。温かい。生きていること実感し、ほっとした。

 う、と小さいうめき声。薄く目が開く。どうやら久しぶりに触れた空気で目が痛んだらしい、カラ松は腕をのろのろと持ち上げ、目元を拭った。

「バカ、眼球に傷つくから。ゆっくり瞬きしなよ」

 目元を擦る手を止め、そのまま引っ張り起こした。カラ松は身体がだるいのか、まだぼうっとしているのか、言われるままにゆっくりと瞬きをしている。

「いちまつ」

 掠れた声が、僕の名前を呼んだ。何、と短く返事をする。カラ松はどこか満足げに笑っているように見える。

「来てくれたんだな、信じてたぜ……」

 それが何を意味するのかわからず、手を止めた。

「……何が

「言っただろう、俺が呼んだら助けに来てくれるかって」

 来てくれたじゃないか、というカラ松の声を聞きながら、なるほどこの状況はそうとも取れると頷いた。思い通りに行動するのは癪ではあったが、やらなかった後悔にさいなまれる人生と比べてこっちのほうがマシであっただけの話だ。たいしたことではない。

「うるせえよ」

「フ……俺のスタアはお前で決まり、だな」

「うるせえったら」

 カラ松を箱の外に引っ張り出す。普段と変わらない格好で眠るのが決まりだったのか、パーカーにデニムという出で立ちだ。

「このままじゃ、ステーションが落ちるんだ」

 はあ、という顔をするカラ松に説明をしても無駄だろう。

「動ける

「ああ、うん……多分、走るのは難しい」

「わかった、じゃゆっくり行こう」

 デバイスに送られたマニュアルを見つつ、カラ松の隣を歩く。

 高度制御の手動操作方法。あのパンツのおっさんはあれでわかりやすい指示書を作るから凄いと思う。ファイルが重く、受信に時間がかかるのが問題くらいだ。

「そういえばエラーがあったって聞いたけど、お前なんともなかったの」

「ああ、肉体はうまく眠ったんだがな、意識は眠れなくて」

 意識がはっきりしてきたのか、受け答えも明瞭だ。それでも、言ってる意味がわからずに立ち止まる。

「ええと、身体は寝てるんだがずっと起きてたんだ」

「……休眠装置にもエラー起きてるじゃねえか、デカパンからなんか貰っとけ」

 およそ一ヶ月弱、肉体は眠っているのに脳はずっと起きている状態というのは、どんな気持ちだっただろう。眠れもせず、動けもしない。目覚めまでただ待ち続けるなんて、想像するだに恐ろしい。本人はそこまで深刻に受け止めていないが、もし宇宙にいったのが自分であればと思えばこそ背筋が冷えた。

「お前のところに遊びにいったりして楽しかった」

「……化けて出てんなよ、幽体離脱

 あの半透明のカラ松は、本人がそのまま家に帰ってきていたものらしい。身体が眠っていて、意識が覚醒していれば不思議な力に目覚めるのかもしれない。

 計器が並ぶ部屋にたどり着く。マニュアルを片手に操作する機械を探し、難しい漢字の羅列、数値の山に目の前がくらくらした。

 カラ松がデバイスを覗き込み、きらりと目を光らせる。好奇心の目だ。これは、少しまずい。カラ松はマニュアル派だが、わからないことをわからないままとりあえずやってしまうタイプだ。失敗できない操作には向かない。

「何か出来ることは……」

「黙って座ってろ、寝起きなんだから」

 しょんぼりと去って行く背中を見送り、諸々の操作を行う。

 一時手動操作の切り替え。高度調整エンジン始動システムへのアクセス。エンジン始動の準備。更に始動後は高度を維持する自動操作へ戻す処理、エンジン始動は乗組員のベルト固定が終わってから開始させ、浮遊の際に発生するGの抑制、等々。

「……複雑、めんどい、多すぎる……」

 ロケットに積んでいたAIやロボットにはアクセス権限がなく、この操作をまとめて行うのが難しいとデカパンのマニュアルにある。そもそもただ眠っているだけの実験であったからと人員を配置しなかったことに問題が云々、とデカパンの反省会が始まったので読み飛ばした。

「すごいな一松、終わったのか

「いや、まだ。ちょっと来て」

 カラ松の手を引き、計器の並ぶ部屋を出てシャトルの座席まで向かう。

 エンジンの始動には、乗組員のベルト固定が条件になっている。僕たちの身体を固定しなければ、この問題は解決しない。

「ベルトで身体を固定して、十秒経ったらステーションのエンジンが始動するから」

「するとどうなるんだ

 何のための高さ調整か知らないまま、カラ松はおとなしくついてくる。このままだとステーションが落ちて死ぬだとか、俺が来なかったらお前だけが落ちて死んだかもしれなかったとか、言っても仕方がないことが頭に浮かび、消えた。

「もうちょっと高い場所に上がる。衝撃で部屋の中跳ね回らないようにベルトで固定するんだって」

「そうか、わかった」

 カラ松の身体は眠っていて、意識が覚醒していたというのなら、もし休眠装置だけが落ちたときにどれほど絶望しただろう。

 そうならないために、来たのだ。知らないところで勝手に死なれないように、地球を離れて遙か宇宙まで。

 座席に座り、ベルトを留める。カラ松も同じように座り、ベルトを締めた。乗組員のベルト固定を認証したのか、身体を留めるそれらがカチリと小さく音を立てる。

 カウントダウンが始まる。エンジンが起動する音が、足下から響いてくる。上昇幅については僕も知らない。どれくらいの時間、どれぐらいの圧なのか、想像も出来ない。

「舌、噛むから、喋るなよ」

「一松もな」

 三、二、一。ゼロカウント。口を閉じる。エンジン噴射の音に、出発のときのような衝撃を想像して身を固くした。

 ベルトをしていても、身体が引っ張られる。エンジン音の収束、高層エレベーターが登っていくときのような感覚だ。手動操作から自動操作への切り替えを告げるアナウンスと、ベルトを外しても良いという指示。

 あっという間に終わった。終わった、と呟く。向かい合って座っているカラ松と目が合った。カラ松は何が何だかわからない、という顔をして座っている。その顔があまりにも無防備で、つい笑ってしまった。

「もういいのか

 これで、落ちない。帰ることが出来る。安堵で身体から力が抜ける。笑いたいような、泣き出したいような気分だった。



 デカパンに高度調整が終わった旨を伝え、調整が上手くいったかどうか確かめて欲しいと依頼をした。計器の示す数値は、マニュアルに載せられたした数値に近い。高度が一定の数値を下回らなければ、恐らく問題はないだろう。

「……何のための操作だったんだ

「知らなくていいよ、終わったんだし」

 身体を伸ばす。あとは帰還の手段が整うまで、適当にステーションで過ごすだけだ。センバツの時に食料庫の在り処や生活に必要な設備の使い方は教わっている。

「それじゃ、一松」

「は

「次は俺の用事に付き合ってくれ」

 意気揚々と歩き出すカラ松の後ろについて、ステーションの中を進んでいく。シャトルを出て、配線が向きだしの部屋を通り過ぎ、計器の並ぶ部屋をも通り過ぎ、どんどんと奥まで進んでいく。

 歩いている間に、デカパンから高度に問題がないという連絡があった。フラッグコーポレーションに迎えの手配を頼むから、三日ほどステーションの中で自由に過ごして良いと言う。用事が済んだら、カラ松にも伝えよう。

 ところで、僕には思い当たる用事がない。

「用事って何」

 問えば、カラ松はがくりと肩を落とした。振り返り、僕の肩を掴んでじっと目を見つめてくる。忘れたのか、とその目が訴えている。

「お前にも見せたいって言ったじゃないか、俺の色だ」

 言われてようやく、月から見る地球の話を思い出した。地球は俺の色だ、と大げさに言われて笑ったのだった。

「窓がある部屋は一つしかないんだ。何かぶつかって穴が開いたら大変だからな」

「ここだけ」

 カラ松の入っていた休眠装置がある部屋には、小さな円い窓があった。そこから、青い塊が見える。地球である。大きい、と思った。それに、綺麗だとも。確かに、自分の目でその青を見れば、俺の色だと言いたいカラ松の気持ちも少しわかった。

「双眼鏡か、望遠鏡を持ってきてもらえばよかったな」

 明日から一人で眠れなんて言われて、宇宙にいくなら望遠鏡でも持っていくかと暢気では居られなかった。気遣いとして持ってくるのも難しかっただろう。

「肉眼で我慢しなよ」

 瞬きをする間すら、惜しいと思う。同時に、本当に綺麗なものや美しいものを見たとき、それを表す言葉がない自身の貧しさに心がちくりと痛む。

「……何て言えばいいのか、わからない」

「きれいなものは、そのままきれいだって言うだけでいいんだ」

「そう…… もっと、言い方があると思うけど」

「好きなものを好きって言うとき、理由はいるか

 俺は、特別なものには特別な言葉が欲しいと思う。カラ松と答えが違うのだろう。全く同じ遺伝子を持った六つ子であるのに、僕たちはあまりにも違う。

「俺はいらない。だから、一松がここに来てくれたことが嬉しい」

 見せたいものも見せられた、嬉しいことを嬉しいと伝えられたと目を細めるカラ松の瞳に、あの青がある。この青は、唯一のものだ。唯一の星だ。それを綺麗だと思う、愛おしいと思う、失われるのはいやだと思う。

「……お前だけいいもの見るのが許せなかっただけだよ」

 約束なんて知らない。呼ばれてどこにでもいくわけではない。ただ、この宇宙において、僕の知らない場所で勝手に野垂れ死ぬことが許せない。それだけの話だ。

 円い窓の前に、並んで座っている。隣では僕にとって唯一の青が、どこか満足げに自分の色だという星を見つめていた。